日中韓観光相会合 石井啓一国土交通相 一問一答
【仁川=岡田美月】日韓関係の悪化に伴う観光分野への影響が深刻化する中、石井啓一国土交通相は30日、韓国・仁川で開かれた日中韓観光相会合に合わせ、韓国の朴良雨(パク・ヤンウ)文化体育観光相と会談した。3カ国観光相会合と中韓との個別会談などを終えた後、報道各社の取材に応じた。石井氏の発言と一問一答は次の通り。
「日中韓観光相会合では、2020年までに相互交流を3000万人規模とする日中韓3カ国の目標について、昨年達成したという認識で一致した。その上で、日中韓3カ国の国民の相互信頼を深める活発な観光交流を推進することに合意をするとともに、そのために取り組むべき3国間の協力について、熱心な議論を交わし、3国の共同宣言文に署名を行った。
観光交流を通じて、相互に信頼関係を築くことは将来の安定した東アジア地域の成長を支える基盤となる。引き続き3国間の観光交流のさらなる推進に向けて取り組んでまいりたいと考えている。
また、来年の大臣会合は日本での開催となったので、日本のおもてなしの精神で皆さまをお迎えしたいと伝えた。
韓国の朴良雨文化体育観光相と初めて会談した。また、中国の●(=各の右にふるとり)樹剛(らく・じゅごう)文化観光相と会談した。
日韓観光相会談では、人的交流は両国の相互理解の基盤であり、両国間にさまざまな課題がある状況であっても、両国間の信頼を基にした観光交流は重要であることについて、認識は一致し、今後の日韓間の双方向交流の推進のために両国が努力をすることについて率直な意見交換を行った。
日中観光相会談では、昨年10月に●(=各の右にふるとり)氏と合意した、相互交流1500万人の目標に向けて、今後の日中間の双方向交流の推進について意見交換を行った。特に本年が日中青少年交流推進年であることを踏まえ、日中双方の若者同士の交流が重要であるという点も一致した。私からは以上だ」
--日韓関係の悪化による観光業への影響が出ている
「先ほども申し上げた通り、日韓観光相会談では、両国にさまざまな課題がある状況で、足下では観光交流が減少傾向であると。一方でその人的交流は両国の相互理解の基盤であり、両国間の信頼を基にした観光交流は重要であるということについて、認識が一致した」
--日韓の会談の終了時刻が予定より30分以上押して終わった。会談時間が延びた要因は?
「今非常に日韓間、さまざまな課題がある中で、双方の大臣とも、そういう課題がある中でも人的交流は重要であるということについて、熱心にお互いに議論したということだ。それから初めての両者の会談であったということもある」
--韓国内に反日的な動きがある。会談で改善を求めたり懸念を伝えたりしたか?
「懸念というか、両国間にさまざまな課題はあるけれども、人的交流は相互理解の基盤であり、やはり観光交流は重要であるということはお伝えした」
--韓国側は日本に対し輸出管理の強化について、元に戻すよう求める動きがある。観光以外で協議したテーマはあるか?
「バイ(2国間)会談でのやりとりの詳細についてはお話しすることは差し控えたいと思うが、観光交流を通じて、両国民間の相互理解を促進することについて率直かつ、有意義な意見交換ができたと思っている」
--日韓間で相互往来が減少していることへの具体的な対策は?
「具体的な対策というか、観光交流がいろんな課題がある中でも重要だという認識は一致したということだ。それからお互いの、一般論ではあるが、観光客の安全の確保。それは、災害時の安全であったり、あるいは事故に遭わない安全の確保の問題であったり、そういう一般的な観光促進ということについて議論をさせていただいた」
--安全確保というのは反日感情から(日本人を)守るということか?
「そういうことではない」
--訪問客が双方で減少していることについて具体的な対策は?
「具体的な取り組みというよりも、しっかりと重要性をお互いに認識をして、いろんな努力をするということについて意見交換をさせていただいたということだ」
--2020年までに交流人口3000万人規模という具合に、新たな数値目標についての認識、確認できたことはあるか?
「今、日韓間にはさまざまな課題があり、交流も減少しているという状況の中にあって、日韓の観光当局間でやはり相互交流は非常に重要であると、観光交流は重要であるということについて認識が一致をできたということは大変大きな意義があったという風に考えている」
--韓国の航空会社が日本便の運休などの見直しを行っているが、それに対して韓国側に対策を求めることはあったか?
「特にない」
--きょう、会場の外では地元の市民団体が東京五輪の不参加を呼びかける反日デモをする動きがあった。こうしたことは議題に出たか?
「全くない。日中韓3カ国の中では、昨年の平昌、来年の東京五輪、2022年の北京の冬季五輪、こういった機会を通じて、東アジア地域に世界から注目されるから、「ビジット・イースト・アジア・キャンペーン」ということでしっかりやっていこうと、共通の認識ができた」
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