【台風19号】暗闇の3時間を8往復 幼稚園児ら64人を救出した水陸両用車の活躍
10月25日に千葉県を襲った記録的な大雨では、国内の消防で2台しか配備されていない「中型水陸両用車」が、災害現場で初めて救助活動を行った。河川の氾濫で道路が冠水し、孤立状態になった同県山武(さんむ)市の幼稚園で、園児と教職員計64人を救出。日没後の活動は3時間に及んだ。「絶対に安全な場所まで運ぶ」。暗がりの中、消防隊員らは川のように水がたまった路面の状態を慎重に探りながら、園児を乗せた特殊車両を進めた。(城之内和義)
その日、同市雨坪の市立日向(ひゅうが)幼稚園には3~5歳児の計88人が登園していた。早朝から降り続く雨は昼過ぎに激しさを増し、同園は降園時間を通常の午後3時から30分早めることにした。ところが、迎えに来ようとした保護者から「道の冠水がひどくて、幼稚園まで行くことができない」といった連絡が相次いだ。
園舎は海抜30メートルの高台にあり浸水被害は免れたものの、その坂下を通る県道の東西2カ所で冠水し、孤立状態となった。市によると近くを流れる作田川が氾濫し、周辺の道路は最大約1.5メートルの深さまで水がたまった。同園では園児の約9割が送迎バスを利用しているが、別の場所に待機していた4台のバスも園に近づけなかった。
「子供たちを不安がらせないよう、普段通りに過ごしながら待つしかない」。山下利恵(としえ)副園長(50)は遊戯室に全員を集め、折り紙やブロック遊び、DVDを見るなど好きなことをさせながら、他の教職員らとともに園児の安全確保に努めた。
午後5時半。水陸両用車を備える山武郡市広域行政組合消防本部の部隊に、市災害対策本部から日向幼稚園への救助要請が入った。この日は午後から土砂災害が発生した同県大網白里市へ出動。市内2カ所を転戦したが、いずれの現場も水陸両用車が活動する機会はなく、山武市の別の地域に向かう途中だった。
「水陸両用車が出動できることになった。いま園に向かっている」。午後5時半すぎ、市の担当課から同園に連絡が入った。その間、冠水地帯を迂回(うかい)(うかい)して迎えに来ることができた保護者もいたが、まだ57人の園児が残っていた。夕方になり、眠気や空腹を訴える子も出てきたところだった。山下副園長は「早く子供たちを親元に帰してあげたかった。夜になるのも覚悟していたので、助けに来てくれると聞いて本当によかった」と当時の心境を語る。
部隊は午後6時5分、JR日向駅近くの冠水部分の手前に到着。搬送車から水陸両用車を降ろし、救助活動を開始した。車両は今年5月に消防庁から同本部に貸与されたもので、走行用ベルトとスクリューを使い分けて悪路や水上を進むことができる。同型のものは他に徳島県に1台しかなく、災害現場での活動はこれが初めてとなった。
救助方法は水陸両用車に8人ずつ乗せて冠水した区間を抜け、その先に待機した送迎バスで保護者らが待つ公民館まで運ぶというもの。このとき水陸両用車の運転を担当した新堀剛章(たけあき)消防司令補(36)は「普段から訓練はしているが不安はあった。水の流れや危険な冠水場所の確認をしつつ、細心の注意を払い操縦した」と話す。
冠水した道路は起伏が多く、暗闇の中、水深を把握することは難しかった。新堀消防司令補によると水深1メートルを超える部分もあり、ベルトとスクリューを同時に使う場面もあったという。普段なら車で往復3分とかからない距離だが、救助には1回当たり20~25分を要した。園児と教職員合わせて64人を8回に分けて運び、全員を無事に救出したのは3時間後の午後9時すぎだった。
救命胴衣を着て車両後部の荷台に乗るなど、慣れない雰囲気に怖がる園児もいたが、「隊員の皆さんが『心配しなくていいよ』とやさしく話しかけてくれたので本当に助かりました」と山下副園長。立石光江園長(59)も「無事な子供たちを見て涙が出そうになった」と話し、隊員らの活躍に感謝する。週明けに同園で開かれた「お誕生会」では、「大きくなったら消防士になりたい」と発表した園児もいたという。
新堀消防司令補は「救助する前に子供たちの笑顔を見て、絶対に安全な場所へ運ぶという気持ちを再認識することができた。今後もおごることなく訓練に励み、邁進(まいしん)していきたい」と話している。
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