“プロ料理人御用達”の街が今や…アナタは何しにかっぱ橋道具街へ?

提供:PRESIDENT Online

 食器や調理器具などのお店が軒を連ねるかっぱ橋道具街(東京都台東区)。もともとはプロの料理人が道具を買い求める場所だが、最近は外国人も多く訪れている。100年以上の歴史をもつかっぱ橋に何が起きているのか、経済ジャーナリストの高井尚之氏がリポートする――。

かっぱ橋道具街の「小松屋」。和食器が数多く並んでいる(東京都台東区)

 テレビ番組ではおなじみのお買い物スポット

 「かっぱ橋道具街ですか? 外国人が来る街として、よくテレビでやっていますよね」

 筆者の問いかけに、知人の男性美容師はこう答えた。

 東京の下町、台東区松が谷地区と西浅草地区にある約170店の道具街は、南北約700メートルの商店街だ。厨房設備や器具、食品サンプルなど中小の店が立ち並ぶ。地下鉄の複数の駅(東京メトロ銀座線・田原町駅と同日比谷線・入谷駅)から、端の店まで徒歩5~6分程度。気軽に行きやすい場所も手伝い、テレビの情報番組の常連だ。

 例えば今年(2019年)夏にも「出没! アド街ック天国」(テレビ東京系。6月29日放送)の「浅草・合羽橋」の中で取り上げられた。その時の紹介内容は「おうちごはんが楽しくなる 夢のある道具がいっぱい」だった。

 台東区の二大繁華街・浅草と上野からも歩けるので、外国人観光客の姿が目立つ。日本人観光客も多く、毎年10月開催の「道具まつり」は、会期中に約40万人の人でにぎわう。

 開店準備がすべてそろう「プロのための街」

 だが、本来は観光客向けではなく、飲食店関係者という、プロの目利きに応える街だ。

 今ではあまり使われないが、「道具の合羽橋」は、もともと「東京三大問屋街」(六大問屋街ともいう)と言われた。ほかは「電器の秋葉原」や「衣料品の横山町」(日本橋横山町)が有名だ。

 「例えば、急に飲食店を出すことになっても、かっぱ橋道具街に来れば、厨房設備・冷蔵庫・冷蔵ショーケース、機械器具や食器、包丁、包装用品・容器・装飾品、製菓材料・喫茶材料から商品サンプル・白衣まで、あらゆる品がそろっています」

 こう話すのは、道具街を束ねる「東京合羽橋商店街振興組合」理事長の本(もと)健太郎氏だ。道具街の最古参店のひとつ「小松屋」社長でもある。

「東京合羽橋商店街振興組合」理事長で小松屋の本健太郎社長(撮影=プレジデントオンライン編集部)

 外国人に人気の理由を、本氏はこう説明する。

 「どんな飲食店にも対応できる、品ぞろえの多様性が大きいでしょうね。1980年代のエスニックブームでは、東南アジア系のお客さんが多く来店されました。ウチの小松屋は和食・中華中心ですが、単色の色合いが昔からフランス人に人気です」

 この街の心意気を示す言葉がある。

 「よく『ウチにはないけど、近くの××という店にあります』と別の店を紹介します。大型量販店の接客で見かける、『商品は店頭にあるだけ』という商いはしません。先人からは(道具街は)『タテの百貨店のようであれ』と言われてきました」(本氏)

 ちなみに「かっぱ橋」の名前の由来は2つあり、江戸時代に合羽屋喜八の掘割工事を手伝った「河童」説と、侍や足軽が内職で作った「雨合羽」を干した橋=合羽橋から来ている。

 有名ラーメン店のどんぶりも多く手掛ける

 この街の由来は「大正元年、かっぱ橋に数軒の道具商・古物商が誕生」とあるが(『かっぱ橋道具街100周年記念誌』より)、小松屋の創業はそれ以前の明治42(1909)年だという。

 「九谷焼の産地である石川県の小松より、本清太郎が上京して当地で創業。店名は出身地にちなんでいます。装飾品の九谷焼はあまり売れず、それなら浅草の飲食店向けに食器を売ろう、と方向転換しました」(本氏)

 関東大震災前の小松屋・店舗写真も残っているが、丼(どんぶり)など、和食器の中が見える陳列手法は昔も今も変わらない。特にラーメン丼で見かける渦巻き模様の発祥店だ。

小松屋が取引しているラーメンどんぶりの一部。行列ができる有名店のものも多いという

 「あれは『雷紋(らいもん)』と言い、古代中国で魔よけに使われていたそうです。雷紋に似た模様は九谷焼にはよくありました。昔からの縁もあり、今でも有名ラーメン店の多くが取引先。麺屋武蔵さん、めん徳二代目つじ田さん、山頭火さん、斑鳩(いかるが)さんなどです。もし『人気ラーメン店ベスト30』を選ぶと、半数は取引先ではないでしょうか」

 昭和20年代には、プロ野球の王貞治氏の父である仕福氏もよく訪れた。当時墨田区内で中華「五十番」を営んでおり、小学生だった貞治氏を連れて、自転車で買いに来たという。

 昭和時代のラーメン丼も見せてもらったが、現在の一般品よりかなり小さい。

 「当時は屋台も多い時代。小さな丼は手狭な店にとって使いやすく、立ち食いも多かったお客さんには持ちやすかった面もあります」(同)

 魚介だしなど、スープの原価が高い店は、スープ量が多いように見える丼など、飲食店の要望に応じてオリジナル丼を開発するのも小松屋の持ち味だ。

 「ジャンボコック」がシンボルの洋食器屋さん

 東京メトロ・田原町駅側から、道具街を訪れる人の目印となるのが、ビルの屋上に置かれた巨大なコック像(通称:ジャンボコック)だ。「ニイミ洋食器店」も古参店のひとつ。

「ニイミ洋食器店」の外観。ビルの屋上にある「ジャンボコック」は道具街のシンボルとなっている(撮影=プレジデントオンライン編集部)

 「1907年に、私の曽祖父である新實吉五郎が『新實道具店』として創業。吉五郎は愛知県西尾市から上京して、商売を始めたのです。その長男で私の祖父、2代目・善一が食の洋風化をにらみ、1920年に『ニイミ洋食器店』に業態を変えました」(4代目・新實孝社長)

 「飲食用器具や備品、食器の総合卸・販売」を行う同店の1~3階には、1万点以上の商品が陳列されている。全国各地の飲食店に支持されて成長したが、最近は個人客も目立つ。

 組合の副理事長も務める新實氏は、外国人客の傾向をこう説明する。

 「どこの国の方か詳しく聞くことはありませんが、店によって傾向は分かれます。刃物や調理器具を扱う店では西洋系のお客さんが多く、お菓子道具を扱う店はアジア系のお客さんが多いようです。当店は昔から外国人も目立ち、大半は飲食店関係者でした。父で3代目の善三郎からも『プロのための街でなくてはならない』と言われ、商売をしてきました」

 実はコック像のモデルは、新實氏の祖父の善一氏(完成時は会長)だ。善三郎氏(当時社長)が、新社屋を建築する際に「ビルを建てるなら、洋食器のイメージを宣伝できるものにしたい」と発案した。ただし、コック像は善一氏の風貌とは異なる。「あまりにも似ていると本人が落ち着かない」とのことで、善一氏が生やしていなかったヒゲも生やしたという。

ニイミ洋食器店にあるお子様ランチ用のプレート。洋食屋の定番であるお子様ランチのプレートは、同店が最初に発売した

 「サラリーマン料理人」が変化をもたらした

 1世紀以上にわたり商売をしてきた道具街にも課題がある。例えば日本人客の変化だ。

 「オーナー店主が減り、サラリーマンのシェフや店長が増えました。その昔は、腹巻きに100万円の札束を入れて買いに来た名物店主もいた。『この場で現金で払うから、もっと勉強しろ(まけろ)』と。こちらもそのやりとりを楽しみました。今はサンプルを1つ買って『会社に持ち帰って検討します』という人も目立ちますね」(本氏)

 チェーン店では、まだ規模が小さいうちは、道具街の店と付き合っても、規模が大きくなると、陶器などの生産地と直接取引する例もある。この場合は特に問屋を介さないことによるコスト重視だという。

 こうした日本人の飲食関係者の需要落ち込みをカバーするのが、外国人客だ。

 「例えば道具街の包丁店の場合、用途別に大から小まであります。プロの外国人料理人は『この食材を切るにはこのサイズ』とサイズ別に買われます。一方、数年前に目立った中国人観光客は、お土産としての購入です。日本人が海外旅行でお菓子をまとめ買いするように、気に入った包丁の同サイズをまとめ買いされることも多いのです」(新實氏)

 「小松屋」では、外国人個人客でも大量買いが目立つという。

 「5人家族なら、5個×3セットというように買われます。本国に持ち帰る途中で破損しないよう何重にも梱包しますね。当社は海外輸出事業部もあり、欧州の日本食レストランにも食器を送っています」

 こうした個人需要にも支えられ、小松屋の売り上げは年々伸びているという。

 ネットにはない実店舗ならではの強みがある

 そうはいっても「ネットで買う」のが目立つ時代だ。例えば家電は、実店舗がショールーム化しており、店で説明を聞いてネットの最安値で購入--という話も聞く。

 「そうした風潮は否定しませんが、道具街が掲げるのは『プロを支えるプロの街』で、専門知識が豊富な店員が対応します。各店には長年勤める名物店員も多いのです」

 こう話す本氏は、さらにこう続ける。

 「例えば若い夫婦が飲食店を開業する場合、食器や什器はできるだけひとつの店でそろえるのを勧めます。特に食器の場合は、使っているうちに欠けたり破損したりします。そうした時に、すぐ同じ食器を補充できるからです」

 「価格重視もあるが、安さだけで選ばないほうがいい」とも言う。飲食業界をよく取材する筆者も「百均の店で買いそろえて繁盛店になった例はない」という話も耳にしてきた。

 「時には直接届けることもあります。私は配達も好き。この間も来店したお客さんに届けるために群馬県伊勢崎市に行きました。『こんな遠くからお客さんが来てくれたんだ』と思いますしね」

 冒頭で紹介した「店頭になければない」と言わないのも、実店舗ならではだ。「日本のよさを外国人に教えてもらう」ことが多い時代。道具街に来る外国人客の一部は、そうした本質を見抜いているのかもしれない。

 高井 尚之(たかい・なおゆき)

 経済ジャーナリスト

 1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。

 (経済ジャーナリスト 高井 尚之)