新型肺炎、問われる危機管理能力 「素早く」「出し惜しみせず」の徹底を
この春から担当する大学の講義資料をつくるために、日本の資本主義の変容を改めて考察している。時代は令和に移り、昭和ですら「遠くなりにけり」だが、昭和、それも戦後を総括すれば、政治主導により数値目標が掲げられ、官僚が政策を立案、展開していく時代だった。(井上洋)
その代表例が、1960年12月に池田勇人内閣が閣議決定した「国民所得倍増計画」である。61年度からの10年間で実質の国民総生産を26兆円にするという大風呂敷、年率平均7%強の経済成長を続けていけば、10年間で達成できるという算段だった。池田内閣は、64年の東京五輪を契機としてインフラ整備を加速、民間投資もスパイラル的に拡大して、計画は10年を待たずに達成された。
その一方で、物価高騰や大都市への人口集中と地方の過疎化、水質汚濁や大気汚染の公害など多くの問題が深刻化した。これらは急速な経済拡大によるひずみであり、長期の間、国民生活の重荷となった。
その後、田中角栄総理による「日本列島改造論」もあったが、明確な数値目標のある政策としては、2003年に定められた「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が挙げられよう。
小泉純一郎総理が03年1月の施政方針演説で打ち出した「観光立国構想」は、当時500万人ほどだった訪日観光客を10年に1000万人にしようというものだった。期間の長さも倍増という目標も、「国民所得倍増計画」をまねている。実際に1000万人が達成されたのは13年だったが、「東京2020」の招致が決まり、「20年に4000万人、15年実績の倍増」という目標が再設定された。
昨年は、日韓両政府間の対立が高まり、韓国からの訪日客が激減、総計3188万人まで拡大したものの、前年と比べた伸び率は2.2%に低下した(日本政府観光局公表値)。中国における新型コロナウイルス感染拡大前の時点で、20年目標の達成は難しいとされていた。
春節(旧正月)の時期に大勢やってくるはずだった中国からの団体ツアーは、ほぼキャンセルとなり、日本の春を楽しもうと例年やってくる観光客も今年は期待できない。地方の観光業は、春節に限らず、比較的長く国内各地を巡る中国人旅行客をあてにしている。政府の目標を前提に、雇用を増やし新規投資をしてきたのだ。
低成長に陥っている日本、とりわけ地方の活性化のため、インバウンドで高い目標を掲げるのは、政治の野心といえる。五輪・パラリンピックの招致もしかり。その野心を否定するつもりはないが、その過程で生じるひずみやリスクに関して、政府は想定の範囲を広げて策を練っておくべきだった。
感染拡大は、インバウンドにドライブをかけている最中に起きたことである。このままでは、東京2020開催に向けた責任を政治は果たし得ない。全省庁挙げて大規模自然災害と同じ意識レベルで、規制色の強いもの、超法規的なものも含め必要な対策をいつでも打ち出せるよう準備すべきだろう。かつて所属していた経団連では08年、09年、12年と新型インフルエンザのパンデミック対策の提言をとりまとめている。民間の知見も生かして、有効な対策を講じてほしい。
現状、出遅れ感は否めないが、既に国内で連鎖感染が進んでいることを前提に、情報も対策も「素早く」「出し惜しみせず」を徹底することだ。
東京2020開催の年、政府は、国民だけでなく世界からも危機管理能力を問われている。
【プロフィル】井上洋
いのうえ・ひろし ダイバーシティ研究所参与。早大卒。1980年経団連事務局入局。産業政策、都市・地域政策などを専門とし、2003年公表の「奥田ビジョン」の取りまとめを担当。産業第一本部長、社会広報本部長、教育・スポーツ推進本部長などを歴任。17年に退職。東京都出身。