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国産輪ゴム生産100年 ワンタッチでつけ外しできる進化

 巻いたり、束ねたり、かけたり、遊んだり…。気づいたら便利に使っている輪ゴム(ゴムバンド)として、日本で最も親しまれている商品がある。茶色と黄色のパッケージで親しまれているオーバンドだ。大阪のメーカーが生産を始めて100年以上。透き通ったアメ色が定番だが、現代は赤や水色、ピンクなどカラフルなものが登場したり、形も変化したりしている。私たちの暮らしに欠かせない身近な日用品が進化している。(高橋義春)

おなじみの箱に詰められたオーバンド=大阪府泉佐野市(前川純一郎撮影)
オーバンドの製造工程。チューブ状の素材を特殊な機械でカットすることで輪ゴムとなる=大阪府泉佐野市(前川純一郎撮影)

 人気殺到

 オーバンドの製造販売で知られる共和は大阪市西成区に本社を構える。同社は大正12年に創業、国内で初めて本格的に輪ゴム生産を始めた。

 それまで国内で流通していたのは、自転車のタイヤチューブを輪切りにして作った黒くて硬い製品だったという。伸びが悪く、見た目も不評。当時、ゴム製造会社の技術者だった共和の創業者、西島廣蔵氏が素材の配合を工夫するなどして、業界初となる透明で柔らかく伸びの良いゴムバンドの開発に成功したのが創業のきっかけだ。

 「画期的な輪ゴムを仕入れるために多くの問屋がリヤカーを引いて創業者のもとに押しかけたと伝え聞いています」

 同社の企画・マーケティンググループのグループマネージャーの池田哲人さん(46)は話す。物を包むには、ほとんどが紐(ひも)で結び止めるしかなかった大正時代。よく伸びてよく縮む輪ゴムは紙幣を束ねたり、品物などを包装したりする際に簡単で使い勝手がよい便利グッズとして飛ぶように売れた。

 デザインは70年

 オーバンドと名付けられ、箱入りで販売されるようになったのは昭和28年から。ネーミングの由来については「ゴムバンドの王様だから」「形がO型だから」と諸説あるが「資料が残っておらず、明確には分からない」(池田さん)という。

 学校や職場で誰もが一度は見たことがあるだろう箱のデザインは、「メンソレータム」の少女のイラストを作ったことで知られるグラフィックデザイナー、今竹七郎氏が手がけた。創業者の西島氏自ら「大御所にぜひ『商品の顔』をお願いしたい」と依頼したという。

 指でつまんでゴムバンドを伸ばす図案、色合い、取り出し口の形…。デザインは70年近く経ってもほとんど変わらない。箱全体が多くの人の記憶に深く浸透しているから池田さんは「これからも変更する予定はない」と話す。

 「ちなみに、パッケージ裏面に実物大で記載されているサイズ標記は発売当初に同社で制定し、今では業界で共通使用されるようになっているんですよ」と教えてくれた。

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 現在、国内シェア6割を誇るオーバンド。その生産や出荷量は1950年代から1980年代にかけては増加し続けていた。しかし、1990年代に入ったころから、ゴム産地のベトナムをはじめインドネシア、マレーシアなどからの安価な輸入品に押される形で減少傾向にある。

 「東南アジアでの加工技術が向上し、日本人のニーズに応えられる製品をつくれるようになった」と池田さん。さらに安価に製品製造する国内他社も加わって出荷量減少に拍車がかかったという。

 そんな中でも、共和は新製品の開発に力を入れ、輪ゴムの国内トップシェアを守る努力を続ける。

 製品企画・技術開発グループは約30人で構成。そこで平成28年に家庭向けに販売されたのが、輪ゴムに小さなタブがついた「たばねバンド」だ。束ねたいものに巻き付けて、タブにひっかければ簡単に固定できる。もともと電線や家電メーカーの工場でハーネスなどを縛るための業務用として使われていたゴムバンドを改良した。ワンタッチでつけ外しができる優れもので、「家庭用にあってもいいのでは」と商品やパッケージのデザインを練った。

 「大阪ギフトショー春 2016」の新製品コンテストでグランプリに輝いたほか、文具の展示会に初出展するなど、同社にとって輪ゴムの新しい挑戦のきっかけになったという。

 このほか、赤やピンク、水色などカラフルな製品も登場して国内トップメーカーとして輪ゴムの可能性を追求し続けている。同社の企画・マーケティンググループのチームマネージャー、城戸康志さん(42)は「新しいアイデアの商品を通して消費者とのコミュニケーションを広げ、暮らしの中で幸せを感じてもらえるオーバンドの発展に向けて常にチャレンジしていきたい」と力を込めた。