【高論卓説】不毛な議論続く「9月入学」問題 困難に直面する学生への配慮こそ大切
不毛だと思われる議論が続く。学校の「9月入学」問題だ。新型コロナウイルスによる休校が長期化する中で、入学を春から秋へ移行させる以前からある案が急浮上。弱り目にたたり目の渦中にあった安倍晋三首相は、国会で「前広にさまざまな選択肢を検討したい」と表明し、各省庁も動かざるを得なくなる。(松浪健四郎)
私は反対論者で、注意深く推進論者の声に耳を澄ます。「国際標準に合わせ、国際化を進める」と主張する。欧米の教育機関と足並みをそろえ、留学を容易にする。諸外国からの留学生を円滑に迎えることができるメリットもあるともいうが、9月入学説に決定打がない。
私は、1968年に米国の東ミシガン大に特待生として編入学した。春から秋まで現地で語学の勉強、入学と同時に大学から毎日家庭教師をつけられたが、専門用語の多い座学は苦痛だった。語学の習得には、意欲と執念と時間が必要だ。日本人には、時間的余裕のある春卒業が都合いい。慣れるためにもだ。
留学のメリットは、先進国であれ、途上国であれ大きい。風土、歴史、文化、習慣、民族性などを肌を通じて学べる。感性を磨き、創造力を盛んにするのに役立つ。相互理解を深め、交流する上で貴重な体験を積むことになろう。で、これらの現実と9月入学とは無関係である。
2012年に東大は、「春の高校卒業と秋の大学入学とで時期をずらし、間にギャップタームを設ける」とする案を提言。当時の浜田純一学長は、ギャップタームを重視され、半年間をボランティアや他の体験活動に使うとした。
秋入学によってグローバルリーダーを育成しようとしたが、結局、学内の反対で頓挫。1987年に臨時教育審議会が提唱した、秋入学の大学版の再提案であった。
遠足、運動会、学芸会、修学旅行などは、教育的な貴重な行事だ。日本の学校でしかない独自性の高いもので、児童、生徒たちの楽しみな行事。人材育成のために昔から伝わる地域の特徴を生かした文化である。おりおりの季節に学習と学習との間に、これらの行事が織り込まれ、子供たちに夢を与えてきた。日本人児童の就学率の高さは、伝統的な催物が学校行事のなかにちりばめられているからだ。
4月入学から年間行事が、ほぼ固定されていて経済、産業に多大な影響を与えてきた。受験、就職も同様で国家と社会のリズムとして定着している。4月入学で、一体、だれが困っているというのか。
日本の教育システムと文化は、世界に誇れるもので自虐的に受け止める必要はない。新緑と桜が美しく、出発、開始するにふさわしいではないか。
東大の9月入学案は、大学だけの変更。保育園、幼稚園から大学まで変更するとなれば、どれだけの問題点があるか、費用はどうなるか、それらを語らず叫ぶのは無責任だ。文部科学省は9月入学の2案を提示、中身は「変更は無理」と読める否定的な案と映った。
日本教育学会は、「学習の遅れを取り戻し、学力格差を縮小する効果は期待できない」「制度変更にかかる国、自治体、家計負担は6兆円を超える」とも指摘し、9月入学に反対した。わが国の高等教育機関の7割は私学。制度変更に必要な経費をだれが負担するのか。
休校とステイホームで学習が遅れ、困難に直面する児童、生徒、学生たち。彼らに学びの保障と、配慮についての議論こそが大切である。「3密」回避を厳守せねばならない現状下、学校運営は危機にひんしているのだから。
【プロフィル】松浪健四郎
まつなみ・けんしろう 日体大理事長。日体大を経て東ミシガン大留学。日大院博士課程単位取得。学生時代はレスリング選手として全日本学生、全米選手権などのタイトルを獲得。アフガニスタン国立カブール大講師。専大教授から衆院議員3期。外務政務官、文部科学副大臣を歴任。2011年から現職。韓国龍仁大名誉博士。博士。大阪府出身。
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