過度な行動抑制は自立心を奪う 日本での「新しい生活様式」の課題
日本では昨秋、ラグビーワールドカップで代表チームが快進撃し、日本中が興奮のるつぼと化した。私も決勝トーナメントの準々決勝、日本対南アフリカ戦を東京スタジアムで観戦し、国境を越えて日本にやってきた人々とともに、人種の分け隔てなくスポーツを真剣に楽しむことの意味を理解した。しかし、東京五輪・パラリンピックは延期され、存在感を示していたアスリートの多くが、本来、立つべき場所を失った。(井上洋)
内閣府の経済社会総合研究所が作成している「日本版スポーツサテライトアカウント」によると、スポーツ産業の経済規模(スポーツGDP)は、2014年の7兆2000億円から17年には8兆4000億円へと着実に増加している。500兆円を超えるGDP(国内総生産)の規模からすると少ない印象も受けるが、スポーツの訴求力、影響力の強さを考えると、この数字以上に社会に貢献していることは確かだ。
力を試す場がなくなってしまったのは、トップアスリートばかりではない。私は30年以上、市民レベルでマラソンを走っているが、今秋、予定されていた首都圏の大会は中止決定が相次いでいる。特に、運動能力に秀でているわけでない人々がランニングを始め、42.195キロのマラソンを走ろうとする動機はさまざまだが、結果として風邪さえひかない健康体を手に入れた者からすれば、主催者の早すぎる中止決定は理解に苦しむ。
若きドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルは、「生存形式」として社会保障制度などベーシックインカムの必要性を訴える一方で、「生活形式」として人の「意味の場の次元」に連なる「精神」、ドイツ哲学でいうところの「Geist」が認められるといっている。
アスリートは、トップレベルでも市民レベルでも、自身の力とともに意志を示す場として、目標となる大会を定めトレーニングを積むが、その一連が意味の場の次元にあたる。まさに人それぞれの存在に直結するものであるが、それがあっけなく奪われているのだ。
周知の通り厚生労働省は、専門家会議からの提言を踏まえて「新しい生活様式」を公表した。何やらガブリエルの言葉に似ているが、これは似て非なるものだ。一言でいえば、人それぞれが築き上げてきた意味の場の次元を否定するのが新しい生活様式である。
マラソンは、「人との間隔を2メートル開けろ」といわれてしまえば成り立たない。ランニングなどの有酸素運動は、生活習慣病の予防や健康長寿に効果の認められるものである。にもかかわらず、この自粛のテレワーク期間中、ホームコースの公園、土手道を走っていて、いつもと違う視線を感じた。それは、これまでになかったことだ。
新しい生活様式は「パターナリズム」そのものである。メディアも「信じて実行すれば感染しない」とでもいうような報道を繰り返している。だから、多くの国民が自立心を失い無自覚にそれを信じてしまった。新型コロナウイルスによる死亡率が、欧米先進国の100分の1の日本において、人々の行動を過度に抑制し、人と人の対面を避けるよう強いる新しい生活様式が本当に必要なのか。
今後、感染が起こる度に「新しい生活様式に従え」となれば、国民は疑心暗鬼から、さらに人を避け、口をきかなくなる。政府には、いま社会の隅々で起きていることに深く考えを巡らせて、感染症専門家だけではなく幅広い専門家の意見を聴き、新たな提起をするよう求めたい。
【プロフィル】井上洋
いのうえ・ひろし ダイバーシティ研究所参与。明大講師。早大卒。1980年経団連事務局入局。産業政策を専門とし、2003年公表の「奥田ビジョン」の取りまとめを担当。産業第一本部長、社会広報本部長、教育・スポーツ推進本部長などを歴任。17年退職。東京都出身。