高論卓説

マイナスをプラスに変える経営者の条件 超楽天的で粘り強く運も味方に

 コロナ禍のうちに年を越し、明るい新年という気分にはなれない。とはいえ縮こまっていては、らちがあかない。オセロゲームでは一目の置き方いかんで、相手の石を一気にひっくり返せる。今マイナスをプラスに変える手を模索している経営者も少なくないだろう。

 成功した起業家、経営者を振り返ると、温室育ちはいない。むしろ厳しい環境をはね返して成功している。どんな条件をそろえれば形勢を逆転できるのか。3つ考えられる。まず楽天的であること。2つ目に運がいいこと。そして3つ目に一念岩をも通す気概があること。超のつくプラス思考といえるかもしれない。

 例えば、ソニーの創業者、井深大氏は3条件を全てそろえていた。8月15日の終戦を長野県の疎開工場で迎えると、細かい指示に縛られる軍需研究にうんざりして、早く自由に技術開発をやりたいと気持ちがはやった。様子を見たいという人たちを残して、7人の仲間と焼け跡の東京に出て、9月には「東京通信研究所」を旗揚げした。これがソニーの原点である。日本は先行き不透明で食う物にも困るマイナスの状態だった。確信があったにせよ、井深氏は驚くべき楽天家といえる。

 住宅設備の最大手、LIXILの前身であるトステムの創業者、潮田健次郎氏は小学校6年から20歳まで、結核の療養のためサナトリウムで過ごした。人生に完全に出遅れた。しかし「絶望はしませんでした」と振り返り、「よく勉強して独学の習慣が身に付きました」と語っていた。

 終戦後サナトリウムを出て、父親が営む建具の小売業を手伝う。長い療養生活と比べれば、仕事ができるだけでも大変な喜びだった。小売業に飽き足らず、翌年には卸業を始め、今日のLIXILへの第一歩を印した。サナトリウムでの8年間を潮田氏は単なる無駄に終わらせず、ためにためたエネルギーを起業のバネにしたのだろう。

 果断に行動する人には、「運」も味方する。

 「オロナミンCドリンク」で知られる大塚ホールディングスの創業者、大塚正士氏は「人生はパチンコ玉と同じ」と言っていた。チンジャラジャラと当たるか外れるか、運次第という意味である。大塚氏は戦後のインフレによる貨幣価値の急落を積極的にとらえて、「幸運」に変えた。インフレはチャンスだと直感した大塚氏は、小さな工場を手堅く経営していた父親の信用で借金して土地や物資を買いまくった。これが今日の大塚グループになる原資になった。もし戦後のインフレがなかったら、「農協の職員になっていたかも」と大塚氏は笑っていた。

 いずれも共通するのは、成功するまで諦めない気概の持ち主という点である。

 ユーグレナの出雲充社長は今でこそ、ミドリムシを原料とする栄養食品を製造販売する東証1部上場企業の経営者だが、2005年に創業して3年ばかりは資金繰りにも苦労した。大手企業の協力を得ようと当たったが、相手にされない。やっと取引できた伊藤忠商事は501社目だった。大変な粘り強さだが、本人は「苦しいと思ったことはない。好きでやっていますから」と言っている。

 ついでに言えば、みな若かった。コロナ禍を乗り越えるには、世代交代も必要である。

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【プロフィル】森一夫(もり・かずお)

 ジャーナリスト。早大卒。1972年日本経済新聞社入社。産業部編集委員、論説副主幹、特別編集委員などを経て2013年退職。著書は『日本の経営』(日本経済新聞社)、『中村邦夫「幸之助神話」を壊した男』(同)など。