イチゴ栽培、IT化で農業活性 明るい未来を信じ起業家奮闘 東日本大震災10年
東日本大震災の発生から10年が経過する。発生直後の混乱の中で、明るい未来をつくろうとの思いを胸に創業した起業家たちがいる。起業家3人の今を追った。
仙台市から南に30キロ離れた宮城県山元町。農業ベンチャーのGRAはここで高級イチゴを栽培している。東京でIT企業を経営していた岩佐大輝最高経営責任者(CEO)は、震災発生の翌日に生まれ育った山元町に向かった。
◆「故郷立て直したい」
そこで目にしたのは、「空襲後の焼け野原のような、ただただ悲惨な光景」。イチゴ畑をはじめ、ありとあらゆるものが津波で流されていた。
いったん東京に戻り、仕事仲間などに声をかけてボランティアチームを結成。週末ごとに山元町で地元住民と一緒にがれきの撤去にあたった。「故郷を立て直したい」。その思いを胸に、IT企業の経営はすべて共同経営者に任せ、山元町でGRAを立ち上げた。
とはいえ、農業に関しては全くの素人。賞味期限が短いイチゴは価格設定で買い手有利になりやすい。農家の所得維持が難しく、後継者難という課題も抱えていた。再び栽培できるようにするだけでなく、「農業にもビジネスとして資本市場から目を向けてもらえるエコシステムの確立といった構造的な課題の解決も必要」と感じていた。
地元の農家の指導を受けながら、栽培を開始したのは2011年秋。IT企業での経験を生かし、栽培ハウス内の温湿度や照度の調整、管理に最先端の技術を取り入れた。そのため多額の設備投資が必要となり、岩佐社長は個人保証を付けて2億円余りを銀行から借り入れた。
12年12月に「ミガキイチゴ」というブランドイチゴが完成。出荷は順調で、ミガキイチゴを使った洋菓子店も都内などに続々と出店している。東北随一のサーフスポットとしても有名な山元町。最近は若い人の移住も増えてきた。GRAによって近代化した農業が新たな雇用と産業を生み出している。
◆CFで寄付 迅速支援
不特定多数の人からインターネットを通じてお金を集める「クラウドファンディング(CF)」は、この10年で日本社会に寄付文化を定着させた立役者だ。その先駆者、CFサイト運営のレディーフォー(東京都千代田区)は、震災発生から2週間ほど後の11年3月29日に誕生した。
事業開始から2カ月ほどたったある日、当時会社があった都内のアパートの前に仙台から来たという2人の大学生がいた。「被害があまりにも大きくて、ボランティアも足りないし、なにより当面の復旧活動に必要な資金もない」。その訴えに米良はるかCEOは気づかされた。
大規模災害が発生すると、日本赤十字社が窓口となって義援金を受け付ける。義援金は都道府県の配分委員会で被害状況を踏まえて決められるため、支給には時間がかかる。復旧に携わる支援団体などに寄付をする「支援金」制度もあるが、義援金と混同されるケースが多く、あまり知られてない。
「CFなら、何かの役に立ちたいと思う人の気持ちを、困っている人に迅速に届けられる」。これがきっかけとなり、レディーフォーは大規模災害の発生のたびに、CFで集めた寄付金を被災地の復旧支援団体に届けてきた。「困っている人たちの支えになりたい」。米良CEOの思いは10年前と変わらない。
伝統産業を未来につなげる事業を手がける、和える(東京都品川区)の矢島里佳社長は、震災発生時、設立を計画していた新会社のホームページのデザインを打ち合わせていた。震災によって生活が一変する人も続出していたが、「どんな時でも生まれてくる命がある。だから会社の設立をやめようとは一切思わなかった」。震災発生から5日後、所轄の法務局に設立登記を済ませた。
この間、伝統産業に関わる職人と連携しながら、子供向けの木製食器などを開発してきた。その過程で感じたのは、一つの物にもさまざまな人が関わっていること。必要な道具、材料などは地域の中小企業によって作られている。後継者難で廃業に至るケースも増えていることから、矢島社長は1000を超える工房を訪問した知見を生かして事業承継に関するコンサルティングも始めた。
「希望の光を持ち続けることが、困難な時代を乗り越える原動力となる」(矢島社長)。そう信じる起業家の強い思いが新しい日本をつくる原動力となっている。(松村信仁)