東日本大震災10年

復興を超えた未来へ 起業家の思いが変える社会

 東日本大震災の発生から11日で10年。日本経済に深い傷を負わせた未曽有の大災害は多くの起業家にとっても重要な転機となった。単に復旧や復興を支えるだけでなく、被災地や日本社会全体に明るい未来をもたらそうという思いが起業家たちの力となっている。

 特産のイチゴで「故郷を立て直したい」

 「空襲後の焼け野原のような、ただただ悲惨な光景だった」

 仙台市から南に約30キロ離れた宮城県山元町で活動する農業ベンチャー「GRA」の岩佐大輝最高経営責任者(CEO)=43=は、震災発生翌日に駆け付けた生まれ故郷の山元町で目にした光景に衝撃を受けた。地元特産のイチゴ畑などあらゆるものが流された後だった。

 当時は東京でIT企業を経営していたが、週末ごとに山元町に戻っては地元住民と一緒にがれきの撤去にあたった。「故郷を立て直したい」。その思いを胸に、IT企業はすべて共同経営者に任せ、山元町でGRAを立ち上げた。

 賞味期限が短いイチゴは価格設定で買い手有利となりやすく、農家の所得維持が難しいなどの課題を抱える。そこで目をつけたのが高値で安定して買い取ってもらえるブランド力のある高級イチゴの開発だ。「ビジネスとして資本市場から資金を調達できるような農業を確立したい」との目標を掲げての出発だった。

 地元の農家の指導を受けながら平成23年秋には栽培が始まった。イチゴ作りは同じ産地でも栽培ハウス内の温湿度が異なるだけで甘さにバラツキがでるほど繊細だ。この難しさを克服するため、IT企業での経験を生かし、先端技術を駆使してハウス内の温湿度や照度を徹底的に管理する手法にこだわった。

 24年12月に誕生したブランド「ミガキイチゴ」は全国の百貨店などでも取り扱われ、オンラインストアでは贈答用の最高級品(420グラム)に5500円の値がつく。ミガキイチゴの栽培ノウハウをインドでのイチゴ栽培に活用する事業も実現した。

 東北随一のサーフスポットとしても有名な山元町には若い人の移住も増えている。GRAによって近代化した農業も新たな雇用と産業を生み出す起爆剤となっている。

 クラウドファンディング「困っている人の支えに」

 不特定多数からインターネットを通じて資金を集めるクラウドファンディング(CF)の運営企業の先駆け的な存在である「レディーフォー」(東京都千代田区)にとって、東日本大震災は新たな使命を担うきっかけだった。

 「ボランティアも足りないし、当面の復旧活動に必要な資金がない」

 東日本大震災から2カ月ほどたった23年5月、米良はるかCEO(33)は、当時会社があった東京都内のアパートの前で、仙台から来たという2人の大学生から切実な訴えを聞いた。

 大規模災害発生時は日本赤十字社が窓口となり義援金を受け付ける。しかし義援金は被害状況を踏まえて配分額が決まるため、支給までに時間がかかる。一方、復旧に携わる支援団体などに直接寄付する「支援金」制度もあるが、マスコミなどで広く募集が告知される義援金に比べて注目度は低い。

 レディーフォーは震災時の経験を機に、大規模災害発生の度に復旧支援団体がCFで資金を集める活動を応援してきた。令和2年7月に各地で起きた豪雨災害では、1カ月間に約1380万円を集め、被災地で復旧支援にあたるボランティア団体に届けた。

 今年1月には被災地支援団体に迅速に資金を届ける新たな枠組みも設立。中央共同募金会や大手企業10社と共同で立ち上げた基金を使えば、最短10日程度で支援金を出すことができるという。

 CFは新型コロナウイルスをめぐっても、治療にあたる医療従事者らへの支援などで多くの資金を集めている。日本に寄付文化を定着させる仕組み作りを引っ張ってきた米良CEOは「困っている人たちの支えになりたい」と話す。

 伝統産業の承継支援「希望の光を持ち続ける」

 伝統産業を未来につなぐことを目指し、子供用の木製食器の開発などの事業を手がける「和える」(東京都品川区)の矢島里佳社長(32)も、企業活動で社会を変えようという起業家の一人だ。

 東日本大震災発生時は神奈川県鎌倉市でホームページのデザインの打ち合わせをしていた。震災で生活が一変する人も続出する状況だったが、「どんな時でも生まれてくる命がある。だから会社の設立をやめようとは思わなかった」。その5日後、所轄の法務局に設立登記を済ませた。

 伝統産業を担う事業者は後継者難で廃業に至るケースも増えており、矢島社長は創業以来1千を超える工房を訪問した知見を生かして事業承継に関するコンサルティング事業も始めた。

 「希望の光を持ち続けることが、困難な時代を乗り越える原動力となる」(矢島社長)。そう信じる起業家の強い思いが新しい日本を作っていく原動力となっている。(松村信仁)