【九州の礎を築いた群像 安川電機編(6)敬一郎と第五郎】「財産は国家のために使い天恵に報いよ」 孫文を支援、東洋近代化に尽力 (5/7ページ)

2014.5.21 08:30

安川敬一郎が私財を投じて創設した明治専門学校(安川電機提供)

安川敬一郎が私財を投じて創設した明治専門学校(安川電機提供)【拡大】

 「今は一身上のことを考えるべき時ではない。赤紙をもらったつもりで会長就任を承諾したのです」

 にもかかわらず陸海軍は統制会発足後も、それぞれ勝手に軍需品を発注し、統制会をないがしろにした。第五郎は軍部に臆することなく「やり方に疑問があります」と度々異議を申し立てた。それでも陸海軍はやり方を改めず「君のような町人と話しても時間の無駄だ」と言い放つ将校もいたが、第五郎は「国家のために職責を果たそう」と部下たちを鼓舞し続けた。

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 お人好しだが、芯が強く、虚栄を嫌う。そんな第五郎の人柄は次第に世間に知れ渡り、終戦後も公職の依頼が次々に舞い込んだ。第五郎はやはり断り切れず「これも社会奉仕だ」と引き受けた。

 昭和21年2月、商工相の小笠原三九郎(1885~1967)に説得され、石炭庁長官に就任した。同年9月、玄洋社に名を連ねたことを理由に公職追放となるが、26年8月に解除されると、日銀政策委員、九州電力会長、九州・山口経済団体連合会(現九州経済連合会)初代会長など肩書は続々と増えていった。

 もっとも重責だったのが、東京五輪組織委員会会長だった。組織委は、前任の会長と事務総長の内紛が拡大し、ついに両者とも辞任する事態となった。大会運営の責任者が不在となり、五輪開催すら危ぶまれる中、五輪担当相の川島正次郎(1890~1970)は「混乱を丸く収められるのは安川さんしかいない」と白羽の矢を立てた。

 会長就任は38年2月。第五郎は組織委総会でこうあいさつした。

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