「君ならできる!」
仕事に挑戦する部下に上司がよくかける言葉だ。実際にこの言葉をかけたことのある方も、かけられたことのある方も多いのではないか。確かにこう言われると悪い気はしない。しかし、私はこの言葉にどうしても違和感を覚えてしまう。もちろん多くの上司は、嘘偽りなく部下を励まそうとしてこの言葉をかけるのであろうが、何と言うか…「軽い」のである。
「君ならできる」という表現には、それで会話を打ち切ることができる都合のよい語感がある。「大変だけど君ならできる。以上」あるいは「君ならできる、はい頑張って」。つまり、なぜ自分はそう思うのかという根拠を部下に対して説明する必要がないのだ。したがって、単にその場しのぎの励ましの言葉や、手軽なモチベーション維持の言葉として使うことだってできる。
上司は「君ならできる」といった決まり文句で期待感を伝え、部下は、これまた「頑張ります」といった決まり文句でやる気を伝える。期待する上司とそれに応えようとする部下といった構図ではあるものの、よくよく注意をしないと、形式的なノリで言っている上司に形式的なノリで応えている部下、といったことにもなりかねない。
本気で部下を励まそうとするときには、「君ならできる」ではなく「君だからできる」という言い方を勧めたい。語感的に「君だから」の根拠をその後に言わざるを得ないからである。