【未来への伝言】大坪清・レンゴー会長兼社長(中) (1/3ページ)

2014.9.18 05:00

大坪清社長

大坪清社長【拡大】

  • 東日本大震災の1年後、新仙台工場(宮城県大和町)で起動式が執り行われた=2012年3月

 ■強い意思力で会社を一つに

 ≪住友商事に入社以来、紙パルプ畑一筋で歩んできたが、1986年に転機が訪れた≫

 「板紙業界で名前が売れてきて、このままでいいだろうと思っていた矢先、『もともと、海外志向が強かったのだろう?』と打診を受け、マレーシア・クアラルンプールの支店長に就任した。それまでにも米シアトルに数カ月赴任するなどの海外経験はあったが、本格的な組織の長として赴くのは初めての経験だった。4年半後に日本に戻ってきて、繊維部門の本部長などを歴任した」

 「その後、欧州の総支配人としてロンドンに駐在しているとき、当時の宮原賢次社長から『レンゴーが、社長を引き受けてほしいと懇願している』との連絡を受けた。当分は欧州で頑張りたいとの意思を伝えたところ、『逃げ切れんぞ』と言われたため、『ロンドンにいるから逃げ切れますわ』と切り返したら、新聞辞令で外堀を固められてしまった」

 ◆セッツと合併 成長へ土台

 ≪レンゴーの社長に就任した直接のきっかけは、99年に実施したレンゴーとセッツの合併だ≫

 「バブル期のマネーゲームに端を発し、セッツは当時、2000億円の負債を抱えていた。このためロンドンから頻繁に帰国し、住友銀行(現三井住友銀行)の幹部らと話し合いを進めていった。最初はレンゴーが負担を軽減するため、子会社化しようとしていたが、私は駄目だと主張した。製紙から段ボールまでを手がけるメーカーとして存在感を発揮するには、本体に取り入れる覚悟が必要になってくるからだ。こうした私の意見が最後に通って、セッツと合併する。結果として銀行との調整も進み、債務が圧縮され、レンゴーが新たに発展するための土台を築いた」

 「2000年にレンゴーの社長に就任したときは『外部から見ていた以上に偉大なる中小企業』というのが率直な感想であった。段ボール業界のリーディングカンパニーであるのに、業界全体を引っ張るための戦略的な動きが見られなかったからだ」

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