カローラ開発秘話、「打倒サニー」へ渾身のエンジン変更、33年国内首位の怪物生む (1/6ページ)

2015.8.20 01:12

カローラ1号車のラインオフ式=昭和41年(トヨタ自動車提供)

カローラ1号車のラインオフ式=昭和41年(トヨタ自動車提供)【拡大】

  • 第13回東京モーターショーに出展された初代「カローラ」=昭和41年(トヨタ自動車提供)
  • 初代「カローラ」の運転席。ハイウェー時代の到来をにらみ、高速運転で機敏な変速できる運転席脇のフロアシフトが採用された=愛知県長久手市のトヨタ博物館

 昭和41年3月、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)技術管理部主査付だった佐々木紫郎(89)=現顧問=は、上司の長谷川龍雄(故人)にこう告げられた。

 「排気量は1100ccに決まったぞ」

 開発中の新型車の発売予定は11月。すでに8カ月を切った時期での排気量変更に佐々木は驚いた。「コンピューターもなく手書きで図面を書いていた時代。今だから言えるが、常識では考えられないことだった」と佐々木は打ち明ける。

 長谷川の指揮の下、佐々木たちが開発を進めていた新型車こそ、日本を代表する大衆車、初代「カローラ」だ。3年後の44年から33年間、国内販売首位を維持し、日本のモータリゼーションを牽引(けんいん)した名車は、高度成長を迎える日本と同様に、がむしゃらなバイタリティーの中で生まれた。

 土壇場で排気量変更を決めた背景には、カローラのライバルだった日産自動車の「サニー」の存在がある。車名公募に約800万通の応募が寄せられるなど、サニーは消費者の期待をうまく取り込んだ。

 トヨタ自工の上層部は、トヨタ自動車販売の要請をふまえ、カローラ開発陣に1000ccのサニーを上回る排気量への変更を指示した。後に長谷川はこう振り返った。

 「命令が降りた以上はやりましょうという気持ちだった」

「デンソーやアイシン精機も…全社があの車に運命を賭けてくれた」

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