スイス・ジュネーブにあるラグルンジュ公園のベンチに座ったまま、一人の老人が亡くなった。老人の名はピエール・ド・クーベルタン。近代オリンピックの創始者である。
1937年の、ちょうど9月2日のことだ。
同じ日、大西洋をはさんだ米国イリノイ州に住むユベロス家に元気な男の子が誕生。ピーターと名付けられた。
◆招致停滞のロス大会
ピーターは長じてフランス人貴族ピエールが産み、育てたオリンピックの救世主となる。そこに奇妙な因縁を感じる…。
毎回激しい争いを繰り広げるオリンピック招致が停滞した時代があった。84年夏季大会だ。
国際オリンピック委員会(IOC)は78年5月、アテネで開く総会で開催都市を決める予定でいた。立候補はロサンゼルスのみ。しかも、申請書によればロサンゼルス市は財政を保証せず、一切の責任も負わない。民間の任意団体、南カリフォルニア・オリンピック委員会(SCCOG)が民間資本を導入、運営する予定になっていた。
IOCは困惑した。長い歴史で考えてもみなかった事態だ。
理由はある。前回(8月26日付)書いた76年モントリオール大会のオイルショックによる10億ドルもの赤字計上。加えて同年の冬季大会開催予定の米国デンバーが財政と環境保全への懸念から大会を返上した。住民による忌避である。
開催調印は翌79年3月。失敗すれば地球上からオリンピックが消失しかねない状況だった。
SCCOGは、強いリーダーシップを持つ組織委員会会長の選定から手をつけた。