【トップの素顔】小仲正久 日本香堂ホールディングス会長兼CEO(2) (2/3ページ)

2016.4.5 05:00

父、正規と母、三重子=昭和50年代

父、正規と母、三重子=昭和50年代【拡大】

 小学校は銀座5丁目にある泰明小学校に入りました。京橋から数寄屋橋に向かい、その当時あった川沿いというか、江戸城の外堀沿いを歩いて通っていました。通学には子供1人ずつにお手伝いさんが付いていました。校舎は、いまと変わらず、鉄筋コンクリートでアーチ型の窓が特徴的でした。父は家族思いでしたが、仕事いちずですから、子供の面倒を見るような余裕はなく、お手伝いさんに任せていました。私の遊び場は銀座や日本橋の百貨店の屋上遊園地でした。

 戦火が激しくなり、44年春、泰明小学校の学童は埼玉県大里郡などに集団疎開をしますが、私は別行動で家族とともに、当時、孔官堂から分離独立していた東京孔官堂の東京工場の一部を移した前橋工場(群馬県前橋市)の近くに疎開しました。家族一緒で、という父の気持ちが強かったのだと思います。父は京橋に残り、母と子供4人が疎開しました。最初は、利根川の鉄橋を渡り、国鉄の前橋駅近くの前代田という場所で、事務所のようなところです。

 疎開とはいっても群馬には中島飛行機があったためか、前橋も空襲があり、焼夷(しょうい)弾が落ちてくるなか防空頭巾を被って逃げ、利根川の橋の下にあった防空壕(ごう)に逃げ込んだり、防空頭巾に火の粉が落ちてきたら、後ろの人が前の人の火の粉を払って消すことを教わったりしたのを覚えています。前橋市内は危ないと思ったのか、同じ前橋ですが群馬総社駅の近くに2度目の疎開をしました。

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