【高論卓説】日本企業で成果主義が定着しないワケ 曖昧な定義が招く複雑な評価基準 (1/2ページ)

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 日本企業に成果主義が導入されて、ほぼ四半世紀が経過するが、「定着したとは、言いがたい。道半ば」(大手電機メーカーの人事担当役員)という見方は多い。ホンダは1992年から、富士通は94年から、それぞれ管理職を対象に「年俸制」という名称で、前年の成果が翌年の報酬に反映されるシステムが始まった。キリンビール(現キリンホールディングス)は89年から同様の成果主義型賃金制度を導入した。上司と部下との話し合いによる目標管理制度(MBO)をベースに成果は評価され、年度ごとに運営される仕組みである。

 富士通は年俸制導入を前に、人事スタッフを世界有数のIT企業集積地、米シリコンバレーに派遣。日本の労働基準法に当たる公正労働基準法(FLSA)から除外される役員や管理職といった「エグゼンプト(exempt)」を参考にしたそうだが、「マイクロソフトのエグゼンプトの働きぶりには、圧倒された。成果に対する意識は強烈だった」(派遣されたメンバー)という。

 では、なぜ日本企業の成果主義は、うまく定着しないのか。いくつも要因はあるが、ここでは構造の違いを指摘したい。90年代、日本企業は職能資格制度に無理矢理に成果主義を入れ込んだ。これに対しシリコンバレーのエグゼンプトは職務給で働いている。やるべき職務内容が明確に決まっている。開発責任者など職の序列で報酬は決まるが、基本給2に対し成果部分8といった形だ。

 90年代初頭のバブル崩壊まで、日本企業を支えたのは終身雇用と年功序列。電機製品も自動車も、基礎技術は欧米から輸入。廉価で高品位に改良し、これを輸出して成長を果たしてきた。支えたのは安い円であり、一致団結しやすい同質性の企業風土だった。終身雇用と年功序列は、独創的な人を潰す面はあったが、キャッチアップするには有効だった。

何が目標で、何をもって成果なのか曖昧にする制度