【職人のこころ】生業の中で進化する道具 民俗情報工学研究家・井戸理恵子

井戸理恵子
井戸理恵子【拡大】

 削ろう会という会がある。鉋屑(かんなくず)をどこまで薄く均等に削ることができるかということを競う会だ。

 宮大工の直井光男棟梁(とうりょう)とこの会に初めて参加したのは1997年の武生大会だった。参加した、といっても素人の私が「大会」で鉋削りを披露するわけではなく、ただ直井棟梁の応援という形での参加だった。

 大工の修業は鉋を研ぐことに終始する。鉋研ぎは薄い鉋削りを可能にする。木を無駄にすることなく生かす。技術の見せどころは鉋研ぎから始まるのだ。

 鉋を真っすぐにひく。この大会では檜をひく。すーっと削り出された鉋の削り屑は本当に美しい。一昨年亡くなった永六輔さんはこの鉋屑のことを「鉋の削り花」と称した。捨てられてしまうものに心を寄せる日本人の心が映し出される美しい言い回しだ。

 大工の刹那の技とそれを映し出す一瞬の思いの儚(はかな)さが読み取れて、涙が出る程有り難い。「鉋の削り花が生じる」と芳しい檜の香りが一面に漂う。檜が神の社を造る最高の木材であることが理解されてくる。向こうが透けて見える程の鉋屑。この薄さは大会の優勝者クラスになると髪の毛の9分の1と聞いた。それを満遍なく、均等に薄くひくのだ。

 また、場内には伝統工具や伝統技術にまつわるものがいろいろ展示されている。めったにお目にかかることができない匠の道具が販売される。伝統工具を体験できる場も設けられている。

 宮大工の西岡常一棟梁が復元した飛鳥時代に使われていた槍(やり)鉋も体験できる。槍鉋を手前にしゅるしゅる削る。身体を後ろから前へ木材と平行に移動させてひく。頭が上下してしまったら、均等にひくことはできない。後ろから前へ。通常の鉋もそうだが海外の道具とは違う。手前に手前にと使う。大工道具は身体に負担がかからない。

 飛騨大会で直井棟梁の薬師寺(奈良市)西塔の復元で使ったという大鋸(おが)をひいてみた。全く、大鋸が動かない。鋸(のこぎり)をひく、とは身体と鋸が一体にならないとできないという。小さな2歳くらいの女の子がこの大鋸をひきたいと寄ってきた。女の子の身体の数倍もある大鋸はもつことすら難しい。みんなで支えて、もたせた。すると、その子はなんのためらいもなく、すっと大鋸をひいた。「道具」とはまさにそれぞれの生業の中で進化したものなのだ。

                   ◇

【プロフィル】井戸理恵子

 いど・りえこ 民俗情報工学研究家。1964年北海道生まれ。國學院大卒。多摩美術大非常勤講師。ニッポン放送『魔法のラジオ』企画・監修ほか、永平寺機関紙『傘松』連載中。15年以上にわたり、職人と古い技術を訪ねて歩く「職人出逢い旅」を実施中。