山梨発 輝く

信玄餅でおなじみ、創業130周年の桔梗屋に息づく起業家精神 (4/5ページ)

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 □中丸眞治相談役

 ■異業種参入 失敗を次に生かす

 --桔梗信玄餅が誕生した経緯は

 「高校3年の冬、両親とともに連日、連夜、新しい和菓子の開発で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をし、私が提案した。当時の山梨の土産は、生ブドウを砂糖の衣で包んだお菓子『月の雫』か、ブドウや桃ぐらいしかなかったが、どれも季節商品だった。そこで安倍川餅の通年販売を提案した。黒蜜を小瓶でつけるのは父のアイデア、風呂敷の個包装はみんなで考えた」

 --発売した当時は、批判もあったとか

 「『お客に包装を解いてもらい、別容器の黒蜜をかけてもらうのはいかがなものか。売れない』などと同業者から言われた。だが、ユニークな個包装が話題となるなど反応は上々。添加物を一切、使用しない餅と黒蜜は、桔梗信玄餅ならではの味わいとなっている」

 --どうやって事業を軌道に乗せたのか

 「営業努力に加え、信玄餅発売翌年の1969年に、戦国武将の武田信玄と上杉謙信の戦いを描いたNHK大河ドラマ『天と地と』が放送され、さらに『風林火山』も映画化され、空前の武田信玄ブームが起き、その波にも乗っていった」

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