廃線の危機救った山上遊園地の「飛行塔」 生駒ケーブル開業100年、その歴史を振り返る (2/4ページ)

生駒山上遊園地のシンボル「飛行塔」。戦時中は海軍の防空監視所として利用された=奈良県生駒市
生駒山上遊園地のシンボル「飛行塔」。戦時中は海軍の防空監視所として利用された=奈良県生駒市【拡大】

  • 宝山寺駅にある運転台。生駒ケーブルの運行を支える心臓部だ=奈良県生駒市
  • 鳥居前-宝山寺間を並走する(左から)「ブル」「ミケ」「白樺」「すずらん」の各車両(近鉄提供)
  • 開業当時の生駒ケーブル。線路脇には駕籠(かご)の姿が見える(近鉄提供)
  • 昭和19年6月26日の運行日誌。宝山寺2号線の撤去作業を開始した記録が残っている
  • 開業当時の生駒ケーブル。線路脇では駕籠(かご)が通過待ちをしている(近鉄提供)

 近鉄などによると、東洋では唯一、香港にケーブルカーが存在したが、海外視察が難しかった時代。実物を見ることはほとんどできなかったとされる。

 大正3年7月に生駒鋼索鉄道が設立されてから4年の歳月を経て、山麓の鳥居前-宝山寺間約1キロを結ぶケーブルカーが運行を開始した。開業初年度の乗降客数は144万人。2年後には300万人を突破したとする資料も残っている。ちなみに、開業当時の運賃は片道12銭、往復19銭だった。

 その後、昭和4年には宝山寺-山上間(約1キロ)の線ができ、生駒山上遊園地が開業。現在の運賃は鳥居前-宝山寺間290円、鳥居前-山上間360円で、開業当初の運賃も現在と同じぐらいの価値だった。

 海軍の防空監視所に

 ワイヤでつるされた飛行機型のゴンドラ4機がふわりと浮き、空を旋回する。開業当初から稼働している生駒山上遊園地のシンボル「飛行塔」だ。かつて存続の危機にさらされた生駒ケーブルを救ったのが、この大型遊具だった。

 戦時中、政府は武器生産に必要な資源を補うため、金属類回収令を公布。寺院の釣り鐘のほか、一般家庭の鍋・釜までもが供出された。さらに鉄道会社の線路や車両の一部も「不要不急」とみなされ、その対象となった。生駒ケーブルも例に漏れず、19年には鳥居前と宝山寺を結ぶ2本の線(宝山寺1号、2号線)のうち2号線のレールが撤去され、一部の車両は解体処分に。終戦まで営業休止を余儀なくされた。

 全国にはそのまま廃線となったケーブルカーもあるが、生駒ケーブルはどうにか生きながらえる。飛行塔が海軍の防空監視所となり、レールの完全撤去を免れたのである。「塔の上層にある展望台から監視していたと聞いています」。生駒山上遊園地の広報担当、木村洋三さん(45)が説明してくれた。

運行日誌には戦争の生々しさも