廃線の危機救った山上遊園地の「飛行塔」 生駒ケーブル開業100年、その歴史を振り返る (3/4ページ)

生駒山上遊園地のシンボル「飛行塔」。戦時中は海軍の防空監視所として利用された=奈良県生駒市
生駒山上遊園地のシンボル「飛行塔」。戦時中は海軍の防空監視所として利用された=奈良県生駒市【拡大】

  • 宝山寺駅にある運転台。生駒ケーブルの運行を支える心臓部だ=奈良県生駒市
  • 鳥居前-宝山寺間を並走する(左から)「ブル」「ミケ」「白樺」「すずらん」の各車両(近鉄提供)
  • 開業当時の生駒ケーブル。線路脇には駕籠(かご)の姿が見える(近鉄提供)
  • 昭和19年6月26日の運行日誌。宝山寺2号線の撤去作業を開始した記録が残っている
  • 開業当時の生駒ケーブル。線路脇では駕籠(かご)が通過待ちをしている(近鉄提供)

 山上遊園地からは大阪平野や奈良盆地はもちろん、大阪湾と紀伊水道をつなぐ紀淡海峡まで一望できる。米軍機の襲来を監視する上で、生駒山上は絶好のロケーションだった。

 軍はゴンドラとそれをつるすワイヤ、内部にあったエレベーターを外し、はしごで展望台に上って上空を監視した。宝山寺1号線は山上への行き来のため残されたが、「レールがもし2つとも撤去されていたら、車の普及に押され、(生駒ケーブルは)復活していなかったかもしれない」。車両の設計など約30年にわたって生駒ケーブルに携わる近鉄信貴生駒鋼索線区の黒川高行区長(52)はそう話す。

 当時の運行日誌には、こんな記述が残っている。「運輸営業休止実施」(昭和19年2月)▽「宝山寺-生駒山上間 便乗停止 海軍専用トナル」(同5月)▽「第2号線ヨリ撤去作業」(同6月)-。空襲警報の発令と解除を示す「警発」「警解」の文字も並び、戦争の生々しさを伝えている。

 終戦を迎えた20年8月、生駒ケーブルは1年半の休止期間を経て営業を再開。28年には宝山寺2号線も復活し、次第に活気を取り戻していく。「飛行塔がなかったら、生駒ケーブルはなくなっていたかも」と黒川さんが言えば、木村さんも「ケーブルカーと遊園地。お互いがあってこそ今がある」と実感を込める。

 通勤・通学の足として

 宝山寺駅のホームに設けられた「運転台」。手元にはいくつもの計器類が並び、正面の窓からは今まさに発車しようとするケーブルカーが見える。7畳ほどの広さしかない作業部屋が、生駒ケーブルの心臓部だ。

 かつては手動で運転していたが、昭和60年に完全自動化されて以降は様変わり。宝山寺と山上の両駅にある運転台で、3つのボタンとブレーキレバーを操作するだけだ。

「これからも安心安全な運行を」