中小企業へのエール

金融危機 信用あってこその緊急システム発動

 人間の記憶は、忘却という優れた能力によって支えられているのかもしれない。失われた20年、いや30年とも言われた平成時代。“あのこと”を思い出せないのは私だけだろうか。(旭川大学客員教授・増山壽一)

 それは山一証券から、都市銀行だった北海道拓殖銀行の破綻へと連なる1997~98年の2年間の出来事。日本経済低迷の始まりとなった金融危機だ。

 現在、企業経営者の多くは遠い過去のように考えている。しかし、改めて“あの時代”を振り返ることが大事ではないか。

 それまで銀行は大蔵省(当時)によって厳しく管理され、金利や支店設置に至るまで指導された。戦前の金融恐慌や終戦直後の記憶は薄れ、銀行は絶対潰れないという神話があった。

 ただ当時の政府・大蔵省は、世界的な金融ビッグバンという規制撤廃の流れに何の準備もなく、しかも、これこそが日本の成長戦略だと銘打って不用意に対処。その結果、混乱が混乱を招き、最初に山一が自主廃業となった。法人営業部門が顧客の損失をかぶり、結果として巨額の簿外債務が生じた。これはシステムではなく、山一が悪いのだという糾弾も聞かれた。

 その後、日本債券信用銀行や日本長期信用銀行で、不動産会社などへの、ずさんな融資による巨額損失が明らかになる。金融不安をあおり、株価も急落、国有化せざるを得なくなった。国は資産を切り売りし、ついには拓銀も破綻へと進んだ。

 都市銀行は絶対破綻しないと確信されていた時代に、拓銀はいともあっさり潰れていった。北海道がどんなに大きな傷を負ったか。改めてあの時代をよく記憶しておかなければと思う。

 今は公的資金の投入システムがあるから大丈夫という人もいる。だが当時も「大蔵省があるから…」と思われていた。

 金融界はバブル期に安易に融資した責任も取らず、高給取りで融資先に厳しく当たる。そんなイメージの中、マスコミを含めた国民が、公的資金の活用を最初は許さなかった。

 いま金融機関は、フィンテックが生み出した仮想通貨や電子決済アプリという新たな流れの中で、融資先の悩みに適切に対応し、顧客の要求に応えられているのか。今までの想像をはるかに超える競争が起こる。

 しかし、いくら緊急事態用のシステムが整備されても、実際に発動できるかどうかは、金融機関の過去の実績に裏打ちされた信用に関わると思う。(隔週掲載)

【プロフィル】増山壽一

 ますやま・としかず 東大法卒。1985年通産省(現・経産省)入省。産業政策、エネルギー政策、通商政策、地域政策などのポストを経て、2012年北海道経産局長。14年中小企業基盤整備機構筆頭理事。17年4月から旭川大客員教授。日本経済を強くしなやかにする会代表。56歳。

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