中小企業へのエール

万博 再び大阪で、レガシー輝け

 2020年の東京オリンピックまで約1年5カ月。期待で胸がふくらむのと同時に、大会後のことを心配している。宴のあとで目標を見失わないかと。(旭川大学客員教授・増山壽一)

 1964年の東京オリンピックを終えた、今から50年前も同じ状況だった。

 そこで政府は日本万国博覧会(大阪万博)をアジア初の万博として70年に商売の都「大阪」で開くことを決定し、その誘致に成功した。

 大阪万博が開かれた当時は、小学校の低学年だった。京都から大阪府吹田市の会場まで電車で1時間弱くらいあっただろうか、何回か母に連れられて行った思い出がある。

 その印象は、あふれ出る人、人、人、そして熱気だった。

 宿泊先がないのか。本来時間が来れば全員、会場外に出なけらばならないのに、物陰に隠れて野宿し、朝一番に月の石コーナーに並ぼうとする人などの姿を妙に覚えている。

 時がたって、今から十数年前。フランスの日本大使館に商務担当参事官として赴任していたときのこと。パリにある万国博覧会国際事務局の日本政府代表としても兼務して働くことになった。

 ロセルタレス事務局長と夜遅くまで、時には事務所で、時にはレストランで、ともに働いたのは今でもよき思い出だ。

 当時、万博事務局は2つの大きな問題を抱えていた。

 1つは、愛知万博をいかに成功に導くか。これは環境というテーマはいいが、商業的に成功するかがポイントだった。

 そして、その後の中国の上海万博をどう成功させるか。これは商業的には成功するのは確実だったが、あまりにも商業的になりすぎていたのをどう修正するかだった。

 その際、ロセルタレス事務局長は、「万国博覧会は産業革命で生まれて、その後20世紀になって、その必要性がもうないと何度も言われ、危機を迎えることがあった。それを救ったのがあの70年の大阪万博であった」と語っていた。

 文明の発展と文化の多様性の維持、繁栄と技術進歩の両立、東洋と西洋文化の超克などなど、あれがすべての現在の原点であると。

 いままた大阪が、2025年の国際博覧会開催地に選ばれた。人類の歴史に恥じないような、レガシーが輝く万博となるよう微力ながら頑張りたい。

【プロフィル】増山壽一

 ますやま・としかず 東大法卒。1985年通産省(現・経産省)入省。産業政策、エネルギー政策、通商政策、地域政策などのポストを経て、2012年北海道経産局長。14年中小企業基盤整備機構筆頭理事。17年4月から旭川大客員教授。日本経済を強くしなやかにする会代表。56歳。

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