変わるトヨタ

(5)「ポスト章男」育成 模索続く (1/2ページ)

 人事制度刷新 成長の機会増やす

 静岡県湖西市の「豊田佐吉記念館」。トヨタ自動車グループを創設した佐吉氏の功績を伝え、自動車事業に進出した長男、喜一郎氏の生家でもある。トヨタの豊田章男社長と6人の副社長は2018年2月、「原点」とも言えるこの地を訪れた。

 首脳陣、血判状で誓い

 佐吉、喜一郎両氏の仏前に集まった7人。改革への意気込みを記したのは血判状だ。副社長らは「日本と世界経済、社会の発展のため、トヨタグループを新たに創造すべく、あらゆる努力を尽くす」と宣言。豊田氏も「本分を尽くし精進する」と誓った。

 豊田氏は祖父の喜一郎氏に特別な思いを持つ。主力製品が織機だった時代、周囲の反対を押し切って自動車事業を立ち上げた。

 トヨタ飛躍の礎を築きながら、志半ばで病に倒れた無念さを思い、会社を再び生まれ変わらせる決意を胸に刻む。

 トヨタで「七人の侍」と呼ばれる社長と副社長は大きな権限を持ち巨艦のかじ取りを担う。行く手には次世代車の開発競争など難路が待ち構えるが、副社長の一人は「血判状を機に命を預け合う、戦う集団になった」と振り返る。

 製造会社と販売会社が合併して発足した現在のトヨタの初代社長には喜一郎氏の長男、章一郎氏が就任した。その弟の達郎氏が1995年に退いて以降、奥田碩氏、張富士夫氏、渡辺捷昭氏と非創業家が続いた。豊田氏が後を継いだのは、リーマン・ショックによる荒波の真っただ中だった。米国の大規模リコール(回収・無償修理)問題や東日本大震災も発生し、危機対応に追われた。

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