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シリーズ物ばかり…これも時代が原因か 社会学者の分析で知るテレビCM (4/4ページ)

 作品として鑑賞し、論じる存在が消えた

 「平成」の中期において、もはや「昭和」ではない、ことだけではなく、「平成」の目新しさが失われた点を、このランキングは示唆しています。

 サントリーのCMが『広告批評』に高く評価され続けた「平成」とは、すなわち、「昭和」との違いにとどまらず、もはや目新しいことばを必要としなくなった時代でした。その象徴的なあらわれとして、サントリーそのもののCMが「平成」の中盤から変化を失った点をあげました。

 そしてそれだけではなく、ソフトバンクの白戸家も、さらには、同業他社であるauの三太郎もまた、ゆるさをいとわず続いているところにも、その変化のなさがあらわれています。

 もう、「平成」のCMは、新しさや意外性を求めてはいません。それよりも、十年一日どころか13年も続いてもなお、同じCMを流し続ける定番をこそ望んでいます。

 その裏側には、『広告批評』という形で、広告を褒めたり、けなしたり、つまりは論じたりするメディアの喪失があります。広告のどこがすぐれていて、どこが足りないのか。それを作品としてとらえ、時代の空気とともに論じるメディアは、どこにもありません。

 あるのは、SNSをはじめとした、多くの場合は匿名で、気楽で薄いことばを無神経に投げつける、大衆の気分だけです。

 批評することにも、されることにも耐えられない

 だから広告製作者たちは、ただひたすら炎上とコンプライアンスを恐れるばかりで、斬新な視点や論争ぶくみの刺激から逃げるほかありません。男女差別に、パワハラ、セクハラ、さらには、マイノリティーへの配慮などなど、あげればきりがない、落とし穴を潰す作業に没頭します。

 平成9年(1997年)に作られた「オー人事」のCMの20年を経た復活は、こうしたコンプライアンス偏重の社会をあらわしています。「働き方改革」という「美しい国」ならではのキャッチフレーズばかりが先行し、実態は伴いません。それどころか、人手不足により外国人人材を受け入れなければならないにもかかわらず、働く環境は、よくなりません。

 それもこれもどれもが『広告批評』の不在ゆえだ、というわけでは、もちろんありません。そうではなく、「昭和」までは広告が社会を映す鏡だと信じられていて、それに対する批評もまた、社会のどこかを照らし出すと信じられていました。それゆえに『広告批評』という雑誌も同時に受け入れられてきました。広告「への」批評も、広告「からの」批評も、どちらも求められてきました。

 けれども、もはや、そのいずれもが成り立ちません。もはや、「平成」の広告そのものが、薄くなり、批評に耐えられなくなり、批評しても残らなくなってしまいました。それゆえに、広告「からの」批評にもつながらなくなってしまいました。

 広告「への」批評も、広告「からの」批評も、どちらも成り立たないからこそ、CMは、昔ながらの定番を続けるほかありません。その惰性の果てに、いつのまにか「平成」は、ダラダラと、ゆるいまま、終わりを告げたのです。

鈴木 洋仁(すずき・ひろひと) 社会学者
 1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て、東洋大学研究助手。専門は歴史社会学。著書に『「平成」論』(青弓社)、『「元号」と戦後日本』(青土社)、共著に『映像文化の社会学』(有斐閣)など。

 (社会学者 鈴木 洋仁)(PRESIDENT Online)

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