論風

銀行はどこへ行くのか 加速する間接金融の地盤沈下 (1/2ページ)

 国際通貨研究所理事長・渡辺博史

 銀行をはじめとする金融機関の経営が難しい局面にあるとされて久しい。良く指摘される要因は、人口減少、異様に長く続く低金利さらにはマイナス金利、いまなお数の多い中での過当競争状態、リスクに見合った金利設定を難しくさせる政策金融の存在などだ。しかし、これらが事態の進行を加速化する要素であることは間違いないが、もっと本源的には「金融」の存在意義自体が問われているのではないか。

 資金分布が様変わり

 一般的な金融の定義は、資金の余剰者から資金の不足者に資金を融通することをいう。しかも、その資金の余剰・不足は一時的なものであることを前提にしている。しかし、日本の場合、1999年に実質上、ゼロ金利になってから20年が経過する。その間の金融業の変化については、自嘲的に「勤めて以来、貸し剥がしはしたことはあるが、貸し付けたことはない」「市場で金利が動くのを経験したことがない」「コール市場は何のためにあるのか分からない」といわれる。資金の過不足が、一般に認識している、あるいは教科書的に記述されているものとは違う分布となり、かつそれが恒常化している、という状況にある。

 財政部門が大赤字となる中、非金融の産業部門の資金不足は解消し今や膨大な資金を内部に持ち、たまに資金需要が生じた場合には、債券、株式の発行で賄う。このような資金需要の縮減に直面した大手金融機関は地方の金融機関からの資金供給を求める必要がなくなる。こういう状況の下では、預貸業務で稼ぐことは極めて困難になる。

 さらに安定的な資金余剰者である個人・家計の資金運用行動の変化も起こっていく。これまで銀行などの金融機関は、一般の個人・家計から預金の形で資金を預かってきた。その場合、その資金をどこに貸すか、何に運用するかは金融機関の判断に基づく自己責任とし、全体としてその預金の全額を保全するという約束をしていた。そして、その約束が自力では果たせないかもしれない部分を「預金保険」という形で集約的に外部依存してきた。また、借り手情報について一般の人が知りうることが困難なものまで把握し、融資判断の材料としてきた。

 このような、一般の個人・家計のリスクを消し、特定の機関(金融機関)にそのリスクを集中させるという仕組み自体が、資金と情報が潤沢となり、それらの「非対称性」が乏しくなった時代においては意味がなくなっているのかもしれない。

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