論風

文芸・文学の国、日本 日常を支えた伝統に誇りを (1/2ページ)

 大手新聞各紙とも短歌や俳句などの投稿コーナーを持っている。おそらく米国紙にはないだろう。選者が選ぶのに困るほどの量だけでなく、質も高い投稿があると聞く。國學院大學は高校生を対象に創作コンテストを実施している。今年は23回目で、短歌や俳句などを募集している。今年は約2万点の応募があり、審査員が選ぶのに困るほどだ。このように日本人ほど文芸・文学に深く携わる民族はいない。(國學院大学特任教授・赤井益久)

 先日、埼玉県漢詩連盟から講演依頼を受け埼玉県志木市に行った。漢詩愛好者100人弱が来てくれた。その中で最も多く詠んだ人は5万首だそうで、プロ顔負けといえる。漢詩は短歌や俳句に比べ、たしなむ人口は圧倒的に少ないとはいえ、こうした漢詩連盟は各都道府県にあるという。自分の日常生活を漢詩にしたため文芸化して楽しむ民族はほかにいるだろうか。言い換えると文芸・文学が日常生活に根付く国が日本なのだ。

 作者層の多様性

 国語の教科書を開くと以前は文学が教育の主要な教材であり、鑑賞して作家の思いや自分の感じ方を感想文にまとめ要約していた。こうした文学との接し方が国民に根付いているにもかかわらず、近年の国語の指導要領には文学離れが見られる。文学作品が教科書の主要な位置を占めなくなっている。評論文や解説文といった理系向けの文を重んじる風潮が見られ、長い間培ってきた文芸と生活をあわせた伝統と相反するのではないだろうか。

 源氏物語は平安時代中期の1000年ごろに紫式部によって書かれた。主人公の光源氏を通して、恋愛や栄光と没落など貴族生活を題材に描いた。世界的にみて、女性作家が日本ほど作品の多くを書いた国はほかにない。中国・唐代に小説はあったが、男性の知識人階級による作品がほとんど。それに対し日本は分厚い作者層があり、時代とともに増えている。作者だけでなく、江戸期に庶民が唐詩選を好んで読んだように、室町から江戸期には庶民が作品を楽しんだ。まさに日本は世界的にみても文芸の国といえる。

 日本には、学問や芸事にばかりふけって弱々しい様を示す「文弱」という言葉がある。「文学ばかりを慕ってなよなよしている」と悪口をいわれるが、卑下することはない。生活をしていくうえで余裕がないと文学に親しめないのだから、むしろ誇るべきだ。

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