リーダーの視点 鶴田東洋彦が聞く

松山市・野志克仁市長(2-2) 「いい、加減」に魅力混ざる街PR

 --2017年12月には新たな温泉施設『道後温泉別館 飛鳥乃湯泉』がオープンした

 「飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋がコンセプト。道後は日本最古の湯といわれ、飛鳥時代の596年に聖徳太子が来浴し、661年には女帝の斉明天皇がお越しになったという歴史があり、道後ほど歴史的価値が高いところは少ない」

 「中に入ると松山の竹細工、伊予かすり、愛媛県の砥部焼、タオルなどの伝統工芸と合える。伝統工芸士と匠が道後にまつわる伝説や物語などを使い、愛媛の伝統工芸と最先端アートをコラボした作品を施設に展示したり、装飾したりしている。外国人だけでなく日本人も日本らしさを感じることができる」

 アートとコラボ盛況

 --アートイベントも盛んだ

 「道後では2014年に、道後温泉本館が改築120周年の大還暦を迎えたことを記念してアートフェスティバル『道後オンセナート2014』を開催した。行政だけでは資金的にも、人的にも地に足が着かないので地元企業、地域も動く仕組みにして29組のアーティストを呼ぶと、若い女性や外国人が増えた」

 「職員は『来年もやりたい』というので、それなら資金不足を補うためアーティストは1人に絞り『道後アート15』『同16』として開催。しかも旅行パンフレットに載せてもらえるように通年でやろうと呼び掛けた。温泉という地域資源にアートを取り入れ、日本はもちろん外国に向けても道後の新たな魅力を発信していく」

 --松山は文学の街のイメージも強い

 「『坂の上の雲ミュージアム』は成長するミュージアムとして、小説のストーリーをもとに毎年、新しいテーマを設定し企画展を開催している。現在は小説の主人公の一人、俳人・正岡子規に焦点を当てた第13回企画展を開催中だ。全国文学館協議会に属する100館のうち来場者が年間10万人を超える文学館は7館だが、3位に子規の資料が充実している『子規記念博物館』が入り、坂の上の雲ミュージアムは5位だった。同ミュージアムは松山城の下にあり、城の活性化にも貢献している」

 --まちづくりについては

 「少子高齢化が進む中、中心市街地を活性化しコンパクトで質の高いまちづくりに取り組んでいる。そして、歩行者や自転車などゆっくりとした交通に配慮し、子供からお年寄り、障害者まで誰もが笑顔で生き生きと暮らしやすい街、すなわち『歩いて暮らせるまちづくり』を目指している。若いときは郊外の一戸建てで自然と親しみながらの暮らしに憧れるが、高齢になると松山城が見え、自動車免許返納後は路面電車で移動でき、商店街も充実し病院もそろう中心に回帰したくなる。『いい、加減』にコンパクトシティーなのが松山だ」

 --いい、加減とは

 「名刺にも書いているが『松山は、何か一つだけがスゴいのではなく、いろんな良さが絶妙に程よく混ざりあう街』だ。気候は温暖な上、海あり山ありで自然は豊か。このため海の幸、山の幸に恵まれ、人情も厚い。加えて都会のところも、田舎でのんびりしたところもあるのがちょうど『いい、加減』といえる」

 「自宅から職場まで車で約15分と距離的に短く、しかも混まない。東京と比較すると通勤時間は約半分だ。物価も安い。愛媛県人は勤勉なことも企業誘致に際しアピールしている。東京でなければ仕事ができない企業以外は誘致できるはずだ」

 防災士養成に力

 --防災にも注力している

 「中村時広前市長の目の付け所の素晴らしさだが、05年から全国に先駆けてスタートした防災士養成は15年目を迎えた。これまでに全国一の5000人を超える防災士が誕生、いざというときに備え地域と連携しながら防災活動を行っている。昨年7月の西日本豪雨でも各地区の防災士が住民の避難誘導や避難所の運営などで献身的に活動し、被害を最小限にとどめてくれた」

 「小学校・中学校の先生や保育園・幼稚園の先生にも資格を取ってもらっている。私も資格を持つ。また市内4大学・2短期大学でも松山市と連携して大学生防災士を養成している。人生の先輩だけでなく、若い人たちにも活躍してほしいからだ。このように地域や企業と連携して地域の防災力を高めている」

 アナウンサー時代の地域取材、財産に

 --アナウンサーから市政に転じた。全く違う世界に踏み出したわけだが

 「1990年に南海放送(松山市)に入社。翌年に放送が始まった情報番組『もぎたてテレビ』のキャスターを務め、松山市長選に立候補するため退社した2010年9月まで続けた。コンセプトは『愛媛のいいとこ探し』で、愛媛県内を回り、素晴らしい街づくりに取り組んでいる自治体などを取材したので、街づくりの知見を広げることができた。松山市の広報番組も5年ほど担当し市政の知識も得た。これらが財産となった」

 --市長就任に当たり、心掛けたことは

 「アナウンサー当時、看板番組を背負うというプレッシャーはあった。市長になり判断を間違えることはできないし、負の遺産を作ってもいけないという覚悟で臨んだ。松山の宝を子や孫に引き継ぐのが私の仕事。話を聞いて『分かりました。やりましょう』というのは楽だが、負の遺産を引き継がせてはいけない。よく考えて実行することにしている」

 「市民の要望は多様化、高度化、複雑化している。職員は知恵と工夫と連携により確実に応えなければいけない。上から目線の一方的押しつけは通用しない。市民との距離が一番近いのが市職員であり、応えられないと存在価値がなくなる」

 --市民が主役というわけだ

 「一人でも多くの人を笑顔にしたい。この思いは就任時から少しも変わっていない。そのためには、市民目線と現地・現場を大切にする必要がある。そこで真っ先に取り組んだのがタウンミーティングだ。90分間台本なしで私の方から地域に出かけていき、地域の魅力や課題について話を聞く。『話せば理解、話さなければ誤解』という。1期目は、市内41地区で各地区2回ずつ開催。2期目は地域別に加え、世代別・職業別でも開催した」

 「3期目から『広報タイム』を設け、市民生活に役立つ情報を発信。これまでのタウンミーティングを開いて市民の声を聞く『公聴』を主軸に、さらに市政を分かりやすく伝えていけるよう『広報』にも注力している。知られていなければやっていないと同じだからだ。松山のタウンミーティングは『聞きっぱなしにしない』『やりっぱなしにしない』ことだ」

 --気が抜けない毎日だが、ストレス解消は

 「気を抜ける休みはほとんどないが、走ることでストレスを解消している。松山市で開かれる市民マラソン大会『愛媛マラソン』は抽選倍率が3倍に達する人気だが、就任翌年の11年は中村時広前市長が『走る』とあいさつしたのに対し、私は『スターターを務めます』というと参加者から『走らんのお』とブーイング。翌年は『ボランティアとして給水します』というとまた「走らんのお」と返ってきた」

 「そこで走ることを決意。以降は6年連続で完走している。ランニングはストレス解消につながる。1時間も走ると考えがまとまるし、新しいアイデアも浮かぶ。走った後、シャワーを浴びるとスカッとするので、時間が空けば走っている」

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