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パナ、三洋電機子会社化10年 収益化できず変革は道半ば

 パナソニックが2009年12月に三洋電機を子会社化してから21日で10年を迎える。三洋が誇った電池や太陽光発電の事業を取り込み世界屈指の総合電機メーカーに変革する狙いだったが、新興企業の追い上げや人材流出で技術を生かし切れなかった。9000億円近くの巨額投資に見合う成果を得られたかどうかは市場での評価が分かれる。

 相次ぐ誤算

 「三洋電機が加わることでグループとして一層の広がりと深みが持てるようになった」。子会社化から年が明けた10年1月、パナソニックの大坪文雄社長(当時)は経営方針説明会で、買収の成果を訴えた。

 三洋は経営不振に陥ってはいたが、リチウムイオン電池では生産技術に優れ世界首位だった。パナソニックと単純合算した市場シェアは35%で、15年度には40%以上を目指すと宣言した。

 大坪氏が目指したのは、価格競争に巻き込まれやすい製品の単品売りからの脱却だった。住宅設備や家電などを丸ごと提供できることを強みに、ビジネスモデルの転換を図ろうとした。

 ただ、その後の計画は誤算続きだった。11年3月に東日本大震災が発生し、一部工場が停止。円高もあって韓国や中国企業に競り負けた。12年3月期連結決算は、テレビ事業の不振や三洋の事業の採算悪化に伴う損失計上が響き、国内製造業として当時最大規模の7000億円超の巨額赤字を計上した。

 失われた人材

 パナソニックは11年に三洋を完全子会社化し、事業の切り売りを加速した。12年に津賀一宏氏が大坪氏の後任として社長に就くと、電池など三洋が得意とした部門の責任者もパナソニック側で占められ、多くの技術者が会社を去った。

 中国の家電大手、海爾集団は洗濯機や冷蔵庫など三洋の白物家電を手に入れ、日本で事業を拡大する足掛かりとした。三菱UFJモルガン・スタンレー証券の宮本武郎シニアアナリストは「パナソニックは重複事業を統合できず、逆にライバルを育てた」と指摘する。

 成長の柱にと期待した電池でも、米電気自動車(EV)メーカー、テスラと共同運営する米国工場は稼働率が高まっていない。市場からは「三洋の技術は生きているが、うまく収益化できていない」との声が聞かれる。

 それでも買収自体が間違いだったとまで言い切るのは難しい。この10年間で家電の価格競争は一段と激しくなり、パナソニックの元幹部は「あの時三洋を手に入れていなければ、戦える武器はなかった」と強調する。

 パナソニック側も13年にプラズマテレビ事業からの撤退を、19年に半導体事業と液晶パネル事業からの撤退を決めた。次の成長に向けた戦略は手探りが続いている。

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