高論卓説

悲惨な現地めぐる「ダーク・ツーリズム」 大震災の「祈り」と遺構に通じる

 新年を迎えたばかりの1月2日にポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制絶滅収容所を訪れた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に1979年に登録された施設は、国立博物館が管理している。入場者数は2018年に約215万人と過去最高になった。

 学芸員による案内の言語別すなわちポーランド、ドイツ、ロシア、日本などに20人ほどのグループになる。有名な「働けば自由になる」という鉄製のドイツ語のスローガンの下をくぐると、アウシュビッツに入る。第二収容所のビルケナウの女子棟などを回ると、4時間ほどを要する。

 ナチスが絶滅させた子供たちの大量の靴が山積みにされた部屋や、ガス室に使われたチクロンBの大量の缶が積み上げられた部屋などを通りながら進むと、入場者たちは無口になっていく。

 日本国内でのみ「負の世界遺産」と呼ぶのは、戦争犯罪を永久に記憶するための遺構である事実に焦点を当てているだけで、施設が持つ多面性を理解していない。収容者が着せられていた、青のしま模様の囚人服を象徴するように、同じ模様をあしらった長い旗がいくつも立てられて寒風の中に舞っている。それに向かうように祭壇のような長い階段を上った先には、亡くなった収容者を悼む墓碑が立っている。

 この地は、「祈り」の場でもある。旧ソ連軍が解放してから75周年になる1月27日を前にして、イスラム教とユダヤ教の指導者がともにこの施設を訪れて、墓碑に祈りをささげた。宗教の壁を越えた歴史的な共同行事となった。

 ナチスがユダヤ人をはじめ、旧ソ連軍の捕虜や精神疾患、LGBT(性的少数者)、ロマ(ジプシー)の人々らを虐殺した「悲劇」は、世界の人々の脳裏に刻まれている。「悲劇」に向かっていることを、「日常」の生活を刻んでいた彼らはその直前まで知らない。

 ワルシャワにあるポーランド・ユダヤ歴史博物館は、中世に大国となったポーランドで、ユダヤ人が官僚や商人として上流階級を形成していたありさまや、第二次世界大戦の中で「ホロコースト」に遭遇するまでの歴史を、発掘品や写真などで見ることができる。侵攻したドイツ軍がユダヤ人をゲットーに閉じ込める前、美しいファッションに身をまとった女性や読書をする女性、結婚式、ユダヤ人学校の子供たち…。「日常」のたくさんの写真が飾られた部屋で「悲劇」を思い、立ち尽くした。

 戦災遺構や大規模な災害、チェルノブイリの原子力発電所の事故など、悲惨な現地をめぐる旅を「ダーク・ツーリズム」という。英語の陰鬱な響きとあいまって、この呼称には賛否がある。ポーランドの取り組みは、世界から人々を呼んでいる。

 巨大地震と大津波、原発事故に見舞われた東日本大震災の被災地では、災害の記録と記憶を後世に伝える「原子力災害伝承館」(福島県双葉町)のオープンや、解体される駅舎の看板や未配達の新聞などを保存する施設(同富岡町)の構想が進んでいる。「祈り」と、悲劇によって断絶した「日常」を保存する震災地に向かって、内外からの人の波は必ず起きる。

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【プロフィル】田部康喜

 たべ・こうき 東日本国際大学客員教授。東北大法卒。朝日新聞経済記者を20年近く務め、論説委員、ソフトバンク広報室長などを経て現職。福島県出身。

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