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若者の街を見つめ続けた原宿駅舎 「美しい形で記憶に」 (1/2ページ)

 【原宿駅舎物語(上)】

 「原宿のモニュメントが消えることに寂しさもありますが、悲観せずに、美しい形で記憶に残ればいいですね」

 若者の街・原宿の玄関口として利用されてきたJR原宿駅(渋谷区)の旧駅舎が、20日に96年の歴史に幕を下ろした。原宿で活動するパフォーマンス集団「ケケノコ族」の族長を名乗るケケ・ヒサツネ=本名・久恒亜由美=さん(36)は、役割を終えた駅舎への思いをそう語った。

 「竹の子族」の命脈

 1980年代に「竹の子族」が一世を風靡(ふうび)した原宿。その命脈は、今も街に生きている。

 1月26日、原宿駅竹下口を降りてすぐの竹下通り。まだ新型コロナウイルスの影響がなかった賑わう街で、10人ほどの女性集団が駅前から響く音楽に合わせ、踊りながら闊歩(かっぽ)し始めた。「ケケノコ闊歩」だ。

 道行く人は驚いた顔で行列を見つめる。集団は竹下通りを抜け、公道へ。途中で立ち止まりポーズを取ると人だかりができ、シャッター音が響いた。

 ケケノコ族は竹の子族の流れをくみつつ、時代に即し街と共存しようとする集団だ。

 ヒサツネさんが活動を始めたのは平成29年ごろ。竹の子族の呼び名の由来となった「ブティック竹の子」を訪れたのがきっかけだ。竹の子族に惹かれ、同店でアルバイトをしながら、かつての竹の子族が集まる集会にも参加した。

 派手な服で身を飾り、代々木公園近くの歩行者天国で踊った竹の子族。最盛期には2千人を超えた。

 「街と共存していて、踊ることで自分の思いが人に触れることができるから」

 竹の子族の魅力をそう語るヒサツネさんは、ケケノコ族として活動を始めた。竹の子族が見上げた駅舎。その駅舎が見守ってきた街に、新しいパフォーマンス集団が生まれた。

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