高論卓説

努力続ける天才棋士の世界 ウィズコロナ時代に再評価「伝統の力」

 ウィズコロナの時代にあって、プロフェッショナルが苦しんでいる。アスリート、音楽家、舞台人など、枚挙にいとまがない。しかし、中にはほぼ通常通り、自身のパフォーマンスを示しているプロもいる。その代表格が、棋士ではないだろうか。(井上洋)

 将棋は、日本だけでプロが生きていけるドメスティックな競技だ。ワールドワイドではないがゆえに、国内の状況だけで対処が可能である。タイトル戦は、2人が一室にこもり至近距離で長時間、対峙(たいじ)するが、マスクは着けたり外したり。会話をすることはほぼなく、コロナ禍でもルール通り、勝負がつくまで考え抜いた手を指し続ける。

 日本将棋連盟は、4月の緊急事態宣言発令後、約2カ月の間、対局を停止した。そして宣言解除後は、短期間で遅れに遅れていたスケジュールを一気に進めたが、その中、初挑戦の棋聖戦でタイトルをつかみ取ったのが藤井聡太七段だった。それを振り返ってみると、6月2日に挑戦者を決める準決勝、4日にその決定戦、そして8日には棋聖戦の第1戦が行われている。

 そして、7月16日に行われた第4戦、藤井七段は渡辺明三冠(当時)から棋聖のタイトルを奪取、短い期間で見せた活躍は人々が不安にさいなまれ、もんもんと暮らしていた社会の雰囲気を変えた。

 その戦いぶりは、ネット配信によるライブで観戦することができた。私自身、将棋の世界で「番勝負」と呼ばれるタイトル戦を集中して見るのは初めてだったが、一人の18歳の力に完全に圧倒されてしまった。

 タイトル戦といえば、これまで大盤解説といって愛好家向けに開かれるイベントが有料で開かれ、将棋のタイトル戦の雰囲気を味わうには、そうした場所に赴く必要があった。

 しかし今や、パソコンやスマートフォンの画面、アプリ搭載のテレビにより、簡単に楽しめてしまう。対局者だけではなく、解説を担当するベテランから若手、そして女流棋士の個性豊かな姿も、コンテンツとしての魅力を高めている。みな天才と呼ばれる者たちだが、画面上に表示される将棋AI(人工知能)の読み筋をチラチラ見ながらも、自身の考えでさまざまな展開を示していく。

 番組では、年齢の差、キャリアの差、あるいは実績の差にかかわらず、プロが互いに尊敬しあい解説が進められる。女流棋士が示した手順にベテランが、「それでは見ている方が分からないでしょう。ちゃんと、やってみましょう」と手を進めていき、「そうか、これもありますね」となると、見ている側も和む。AIがいくら進歩しても、生身の人間同士の攻防が繰り広げられ、また現役の棋士たちが代わる代わる、多様な読み筋を披露していく世界は奥深い。長い歴史の中で伝統を継承してきた将棋は、現代の最先端技術と棋士たちの真摯(しんし)な姿勢により、魅力が一層、高まっているといえよう。

 コロナ禍にあって、将棋がお茶の間に度々、登場するようになると、「野球だ、いやサッカーだ」「ピアノかバイオリンか、やはりお受験か」とわが子に無理強いをする親は減るかもしれない。

 将棋は幼少期から道場や教室に通い、その適性が見極められていくものだが、それら以外にも、わが子に見落としている才能は確実にあるだろう。

 親は子の関心をステイホーム中に聞き出し、多様な可能性を考えてみてはどうか。海開きもなく、花火大会もないこの夏、コロナ以前の価値観、先入観をひとまず横に置き、親子で未知の世界に足を踏み入れていくのも悪くない。

【プロフィル】井上洋

 いのうえ・ひろし ダイバーシティ研究所参与。明大講師。早大卒。1980年経団連事務局入局。産業政策を専門とし、2003年公表の「奥田ビジョン」の取りまとめを担当。産業第一本部長、社会広報本部長、教育・スポーツ推進本部長などを歴任。17年退職。東京都出身。

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