テクノロジー

「はやぶさ2」ねじ製造…埼玉の金属加工会社、衛星に携わって半世紀

 小惑星リュウグウの試料を収納したとみられる探査機「はやぶさ2」のカプセルが地球に帰還した。埼玉県羽生市の金属加工会社「キットセイコー」は、はやぶさ2で使用されたねじを作った企業だ。昭和45年に打ち上げられた日本初の人工衛星「おおすみ」のねじを製造して以来、半世紀にわたり日本の宇宙開発事業に携わってきた。関係者は今回の試料カプセル帰還をどんな思いで迎えたのか。

 重圧「万が一、ねじが原因で…」

 「百パーセントの自信を持って送り出したが、万が一、ねじが原因でミッションが失敗したら…。帰還が迫るにつれ、そんな重圧を感じるようになった」

 作業着姿で現れたキットセイコーの3代目社長、田辺弘栄さん(46)はこう明かした。カプセルの到着を知ると、ほっと一安心した後、徐々に達成感が込み上げてきたという。

 はやぶさ2には、さまざまな機材を取り付けるため、同社が製造したチタン合金製のねじ約100種類、約500本が使用された。

 空気や重力がなく、温度差も激しい宇宙空間での活動に耐えるには高い品質が求められる。打ち上げた瞬間から手入れができなくなるだけに、「ひびや強度不足がないか一本一本を徹底的に検査した」と田辺さんは振り返る。

 80機に提供「先人の技術残す」

 同社は昭和15年に創業し、これまで人工衛星約80機のねじを製造してきた。

 田辺さんが入社した平成10年ごろ、社内では技術者の高齢化が深刻な問題になっていた。

 このままでは蓄積された技術が失われかねない-。そんな危機感を抱いた田辺さんは、23年に社長に就任して以降、若手の積極採用とベテラン職人による指導体制の構築に力を注いだ。

 15年に打ち上げられた初代はやぶさのねじ製造は主に平均年齢50代のベテラン職人が担ったのに対し、今回は30代の若手が中心となって工程を完結させた。

 「宇宙事業に携わることは、ものづくりを担う者として最高の名誉だ。だからこそ先人が培った技術力を残していきたい」

 田辺さんは力を込めた。

(竹之内秀介)

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