小田急線とJR南武線が交わり、それぞれ16万人以上が乗降する川崎市多摩区の登戸駅。その駅前にあるバス停の時刻表に目が釘付けになった。ほとんどが空欄で、毎週土曜日に1便しかなかったからだ。過疎化の進む地方の話ではない。都会のターミナルを発着するバスが週1便なのである。気になって取材を始めると、全国には年に片道1便しか運転されない“幻の路線バス”があることも分かった。採算はとれているのか。そもそも何のために走っているのか。
他社の“牙城”に乗り入れる
毎週土曜日に往復1便だけ運行しているのは、神奈川県や東京多摩地区に路線網を持つ神奈川中央交通(神奈中)。午前7時にJR横浜線の淵野辺駅北口(相模原市中央区)を出発し、小田急線の鶴川駅(東京都町田市)を経て登戸駅までの約20キロを1時間ほどかけて走行する「淵24系統」という路線だ。
淵野辺駅から登戸駅まで電車で向かう場合、町田駅で横浜線から小田急線に乗り換える必要はあるが、所要時間はバスの半分。ほとんどの人が電車を利用するはずで、週1便のバスにどこまで需要があるのか、謎は深まるばかりだ。
土曜日の朝、登戸駅に向かう「淵24系統」のバスに途中の鶴川駅から乗ってみた。乗客は5人。鶴川駅から登戸駅までの区間は、赤と白のストライプが特徴の小田急バスや水色の川崎市交通局(川崎市バス)の“牙城“だ。日本最大級の規模を誇る神奈中といえども、いわば“敵陣”。車内に掲示されていたバス路線図を見ると、「淵24系統」の路線だけ地図の欄外にはみ出ている。まるで単騎で敵陣に乗り込んでいく侍の軌跡のようでもある。
途中の修廣寺バス停(川崎市麻生区)は、この稀有な存在のバスのために存在。当然、と言ったら申し訳ないが、乗客はいない。次の停留所を伝えるアナウンスが流れても、降車ボタンが押される気配はない。降りる人も乗る人もいないから、バスは15の停留所を連続して通過した。そして、鶴川駅から16番目にあたる東生田小学校前(川崎市多摩区)という停留所で初めてドアが開いた。
年配の男性が乗り込んできた。向ヶ丘遊園駅に向かう小田急バスが毎時1本以上走っているので、わざわざ週に1便の神奈中バスを待っていたわけではないのだろう。
小田急線の線路と並走してきたバスは、向ヶ丘遊園駅周辺で狭い道路に入る。商店の軒先をかすめるように走り、8時ちょうどに終点の登戸駅に到着。水色の川崎市バスが発着するバス停に、黄色い車体にオレンジと赤の帯をまとった神奈中バスが停車するのだ。貴重といえば、貴重な光景だ。
神奈中バスは12分後、再び淵野辺駅北口に向かって折り返していく。つまり、登戸駅との邂逅(かいこう)は1週間のうちに12分間だけ。たまさかの逢瀬というべきか。そう考えると、わざわざこのバスに乗った甲斐もあるというもの。ただ、わずか数名の乗客で採算がとれるとは思えず、いったい何のために走っているのかという疑問は解消されなかった。
神奈中によると、この路線は「今後の需要の変化に、迅速に対応を行うため」存在しているという。需要の変化に対応することと、路線を維持することがどう関係するのか。