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洋楽ロックコンサートが変えた日本のエンタメ 老舗会社ウドーが足跡を本に (1/2ページ)

 洋楽ロックコンサート招聘(しょうへい)の老舗会社が、半世紀を超える業績を書籍にまとめた。日本における洋楽ロックコンサートの歴史が俯瞰(ふかん)できるとともに、大物外タレらが音響、照明などの技術革新を日本にもたらしたこともうかがえる。同社が、日本のコンサート文化全体の発展にも貢献したことが分かる1冊になっている。

 コンサート文化の礎

 この会社は、ウドー音楽事務所(東京都港区)で、同社が昭和46年から令和元年までに手掛けた洋楽ロックコンサートの記録などを「洋楽ロック史を彩るライヴ伝説-ウドー音楽事務所の軌跡を辿(たどる)る」(シンコーミュージック・エンタテイメント)という書籍にまとめた。

 ページをめくれば、ボブ・ディラン、エリック・クラプトンやジェフ・ベックら超大物ロックスターの名前が、次々に登場する。

 創業50周年を記念したもので、ウドーは昭和42年、コンサート制作会社、共同企画(後にキョードー東京)から分かれてできた。その際、ロックはウドーが担当すると住み分けたという。

 ちょうど英米でロックスターが相次ぎ登場し、ロック音楽が大きなビジネスになりはじめた頃だった。

 このため、ウドーが呼ぶロックコンサートもどんどん巨大化した。音響、照明などには次々と新しい技術が導入され、見たことも使ったこともない新型の機材が日本に持ち込まれた。

 火薬類を大量に使用する米ロックバンド、キッスが来日したときは、メンバーのジーン・シモンズが、会場や消防関係者を前に、炎を吐くパフォーマンスを自ら演じ、安全性の確認に協力したエピソードなども同書には記されている。

 日本の関係者、機材業者らはこれらを懸命に研究し、その結果、日本のミュージシャンのコンサートも発展した。現在のJ-POPのコンサートや音楽フェスティバルの盛況につながったといえる。

 「お客さまを楽しませるため、海外と同じものを日本で再現することが当時のわれわれの最大の使命でした。われわれの洋楽ロックコンサートによって日本のエンターテインメントは変わりました。われわれの自負だという以上に事実だと思います」

 ウドー副会長の高橋辰雄さん(69)が胸を張る。

 高橋さんは50年に入社。“クラプトンのプライベートをもっとも知る男”などと呼ばれるが、ツアーマネジャーとしてクラプトンをはじめ多くの来日ロックスターに帯同。多くのコンサートの現場を見てきた。「洋楽ロックコンサートは、その後の会場運営、警備も変えた」と高橋さんはいう。

 次の50年

 だが、設立から半世紀が過ぎて、ウドーは危機にも直面している。

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