【開発物語】三井化学「TouchFocus(タッチフォーカス)」

2019.2.4 06:21

 ■遠近切り替えワンタッチの電子眼鏡 「目の健康」に敏感なシニア層に需要

 ≪STORY≫

 三井化学が、ワンタッチで遠近の切り替えができる電子眼鏡「TouchFocus(タッチフォーカス)」の販売を拡大している。昨年2月に7店舗で販売を始め、直近には30店舗以上に拡大。2019年は100店舗を目指すほか、海外販売も視野に入れる。遠近両用眼鏡や老眼鏡に比べて快適で、目の健康を保つのに役立つとあって、シニア層を中心に引き合いが増えている。

 昨年10月、東京都江東区の東京ビッグサイトで開かれたアジア最大級の眼鏡展示会「国際メガネ展(IOFT)」。三井化学のブースには、タッチフォーカスの実力を試そうと、多くの人が群がっていた。

 三井化学がこの製品を展示したのは一昨年に続き2回目だ。前回も注目を集めてはいたが、発売後の今回はさらに来場者が増え、「使えるだけでなくデザインもいい」などの好意的な反応が得られたほか、新しもの好きとみられる比較的若い人も少なくなかった。タッチフォーカスの事業を手掛けるE-Glass事業開発グループの早瀬慎一リーダーは、その様子を見て販売拡大への自信をさらに深めた。

 タッチフォーカスは、レンズ下部に埋め込んだ液晶の度数を切り替えて使う、まったく新しいタイプの眼鏡だ。フレームのこめかみに触れる部分(つる)に付いているタッチセンサーに約1秒触れると液晶に電圧がかかり、瞬時に近くが見えやすくなる。

 見た目は一般的な眼鏡と変わらず、液晶の存在にはよほど注意しないと気づかない。重さもプラスチック(樹脂)製フレームの製品で約30グラムとほぼ同じだ。

 フレームの右側先端に差し込むバッテリーは、1回の充電で約10時間の連続使用が可能だ。新聞を読んだり、スマートフォン画面を見たりするのが1日1時間とすると、週に1回程度の充電で済むことになる。

 遠近両用眼鏡は、レンズ下部が近距離用になっている。そのため、近くを見るたびに視線を落とす必要がある。自然と目を動かす回数は多くなり、疲労が蓄積しやすい。

 視野の両端にゆがみ(収差)が生じるのも欠点で、かけたまま歩くと足元が見えにくく、階段を上り下りする際は特に危険だ。ほかにもゴルフのショットを打つ際など、何かと不便がつきまとう。早瀬氏はそうした不便を解消し、「快適な生活をサポートしたいと考えた」と話す。

 もっとも、ハイテクの塊だけに開発は試行錯誤の連続だった。

 タッチフォーカスの液晶は、2枚の樹脂製レンズの間に液晶材料や絶縁膜などを挟み込んだ9層構造をしている。液晶の分子配列を水平から垂直に変化させ、屈折率を変えることで遠近を切り替える仕組みだ。E-Glass事業開発グループで開発・製造を率いる村松昭宏開発リーダーは「液晶の厚さは3マイクロメートル程度に抑え、さらに液晶材料をレンズ内に最適に閉じ込めて安定させる必要があった」と苦労を振り返る。

 樹脂レンズと同等の透明性を確保したり、つる内部の狭い空間に電子回路を格納したりするのも大変だった。より自然な姿勢で見られるよう、液晶の位置や広さにもこだわった。

 村松氏らがタッチフォーカスの開発に着手したのは08年。もともとパナソニック傘下のパナソニックヘルスケア(PH)社員だったが、14年に三井化学が事業を買い取ったのを機に移籍した。移籍後も幾度となく壁にぶち当たったが、文字通り苦節10年で努力が実を結んだ。

 だが、既に次の任務が始まっている。取り扱い店舗の拡大を図る一方で、商品ラインアップを拡充。昨年10月には、よりデザイン性の高いチタンフレームの製品を追加した。来年には紫外線量に応じて濃さが変わり、昼夜問わず使える「調光レンズ」タイプも投入する計画だ。

 ほかにも電子回路を内蔵していない左側のつるに、骨を伝わる振動で音を聞く「骨伝導」の補聴器を仕込んだり、心拍数をモニタリングする機能を持たせるといったアイデアが持ち上がっているという。

 タッチフォーカスは、百貨店内の眼鏡店を中心に販売されている。従来にない商品だけに、店員が製品について顧客にきちんと説明することを重視しているからだ。

 00年以降、眼鏡業界は大きく様変わりした。安さを武器にした新興勢力の台頭で価格破壊が進み、巻き込まれた既存の眼鏡店は打撃を受けた。こうした店が復活するには、丁寧な顧客対応という強みを生かしながら、高機能・高付加価値の商品を拡充して新興勢力と差別化することが欠かせない。早瀬氏は「タッチフォーカスは新しい市場を作れる。眼鏡業界の活性化につながれば」と願う。

 三井化学が、遠近両用を使っている男女600人を対象に実施した調査によると、手元を見るときに顎は上げたままで目線だけ「下目使い」になるといったしぐさに、4人に3人が「老い」を実感していた。7割は「手段があれば解決したい」と考えているという。

 「絶対に世の中に役に立つという思いがタッチフォーカスを生んだ。年齢を気にせず好きなことをやりたいのに、老化のせいで諦めてしまうのを何とかしたい」。早瀬氏はそう力を込める。

 ≪TEAM≫

 タッチフォーカスは、三井化学が一から開発したわけではない。E-Glass事業開発グループの早瀬慎一リーダーと村松昭宏開発リーダーは、もともとパナソニック子会社のパナソニックヘルスケア(PH)社員だった。

 PHは、電子眼鏡の特許を持つ米国のベンチャーと共同開発していた。PHが自社の技術を生かしながら仕上げた製品を、ベンチャーが買い取って売る手はずだった。開発開始から3年後の2011年には、米国での試験販売にこぎ着けた。

 ところが、相手のベンチャーは開発資金がショートし、倒産してしまう。そのころPHも投資会社に売却されることが決まっており、電子眼鏡の事業化は断念する方向となった。何とか事業を存続させようと早瀬氏らが奔走したところ、関心を示し、14年に事業ごと買い取ったのが三井化学だった。

 三井化学は、1987年に参入した眼鏡レンズ材料で、世界トップの地位を築いていた。さらに事業領域を目の健康全般に広げた上で、「タッチフォーカスを通じて一般消費者向けビジネスにも挑戦しようと考えた」(村松氏)のだという。

 三井化学には当初、早瀬氏と村松氏を含む7人だけが移籍した。しかし、念願の国内発売を果たした現在は、その後に合流した元同僚や同社の生え抜き社員などを含め、40人を超えるまでになっている。

 タッチフォーカスには、三井化学が長年の事業で培った素材技術が役立てられている。一方、同社は一般消費者向け商品を扱うことで、事業領域を拡大するだけでなく、市場ニーズをより的確に把握できるようになった。村松氏は「文化の違いはあったが、(三井化学に移って)2年後ぐらいから相互理解が進み、融合していった」とチームワークの成果であることを強調している。

 ≪MARKET≫

 ■団塊ジュニア40代にも的

 国内眼鏡市場は長期にわたり低迷が続いてきた。2000年代に入り、商品企画から製造・販売まで一貫して手掛ける格安眼鏡チェーンが台頭。現在も攻勢をかけている。このため低価格化が進み、1990年代初頭に約6000億円あった市場規模は2009年ごろには4000億円程度まで落ち込んだ。

 矢野経済研究所の調べによると、16年の市場規模(小売りベース)は5045億円。5年連続でプラスとなったものの、完全復活には程遠い。

 ただし、明るい兆しも出始めている。近年は、紫外線(UV)や疲れ目の原因とされるブルーライトといった有害光線、花粉への対策を施した高付加価値品が増加。レンズを高機能化したり、視力検査を充実させたりして、フレーム以外で稼ぐ動きもある。

 さらに業界が期待をかけているのがシニア層だ。既に主要ターゲットとなっている団塊世代に加え、団塊ジュニア世代も老眼になり始めるとされる40代になっている。三井化学は、こうした40~50代の「ミドルシニア層」にもタッチフォーカスを売り込んでいきたいという。

 ≪FROM WRITER≫

 老眼。嫌な言葉だ。ここ数年、モノが見えづらくてしようがない。しかも年々ひどくなる一方だ。

 記事の執筆などで近くを見るときだけ格安眼鏡をかけているが、鼻の上にちょこんと乗せた姿はわれながら年寄り臭い。精神的にも老化が進んでいるように感じる。かといって、遠近両用眼鏡もそれほど便利ではなさそうだ。

 興味津々でタッチフォーカスを試してみたが、思った以上に見やすく快適なのに驚いた。かけたままで遠近両方を見られ、視線を大きく動かす必要がないので疲れない。ハイテク商品だけに値は張るが、それで快適な生活と目の健康が保てるなら決して高くない。

 他国以上に高齢化が進んでいる日本で磨かれた技術は強みとなる。タッチフォーカスの海外進出を期待したい。

 ≪KEY WORD≫

 ■TouchFocus(タッチフォーカス)

 三井化学が昨年2月に発売した電子眼鏡で、遠近両用眼鏡や老眼鏡の不便な点を解消したのが特徴。レンズに液晶が埋め込まれており、ワンタッチ操作で遠近を切り替えられる。プラスチック(樹脂)製とチタン製で計4タイプのフレームデザインを用意。色は33種類ある。希望小売価格(税別)は樹脂製が25万円、チタン製は27万円。百貨店内の眼鏡店などで扱っている。

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