【リーダーの視点 鶴田東洋彦が聞く】聖路加国際病院 石松伸一院長(1)「一期一会」大切に患者と接する

2021.8.17 08:00

 1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件で、聖路加国際病院(東京都中央区)は「救急患者を断らない」病院との評判が定着した。今では救急車受入台数は年1万を超える。この救急の現場で患者との「一期一会」を大切にしながら長年、病院を率いてきた石松伸一氏が今年4月、第11代院長に就任した。「自然災害やテロ、感染症との闘いの中で感じるのは、聖路加の現場力とチーム力の強さ。この力を磨いていく」と意気込みを見せる。

 --院長就任にあたり職員らに話したことは

 「『聖路加で働く喜びを実感できる職場となるよう努力したい』と伝えた。職員全員が『今できるベスト』を全うしてほしい。私の今までのスタンスである『職員に対しては日々感謝しねぎらい、患者にはできるだけ声をかける』という姿勢を変えずにいきたい」

 --院長になると現場との距離ができるのでは

 「遠くなったとは思っていない。3月まで主に救急部の現場に立ち、院内の多くのスタッフと接してきた。聖路加の中は熟知している。現在は朝早くから、全ての病棟に顔を出して声をかける。職員の反応はさまざまで、笑顔もあれば疲労や多忙の者もおり、その日の状況を把握する。職員の抱える問題にすぐに解決できなくても、一歩一歩進んでいきたい。聖路加の理念にある『キリスト教の愛の心』を実践する病院。この愛の心をいかに見失わずにいられるか、常にこの理念に沿うためにはどうすればよいかを職員と一緒に考え続けていく。だから現場と離れることはない」

 --キリスト教の愛の心とは

 「93年に救急医として聖路加に採用されてから勤続28年がたった。聖路加が大好きで、ここから離れられなくなった。その理由は自身もクリスチャンで、聖路加の理念『キリスト教の愛の心』を実践したいと思うからだ。そして院長になり、聖路加の職員一人一人が患者やその家族、病める人々のために、身も心も寄り添うような医療を提供してほしいと考えている。また理念にある『生きた有機体』は、医学の発展や時代の変化を敏感に捉え、成長することであり、先進的な教育・研究に支えられた『質の高い安全な医療』を実践する。聖路加に求められる高度な医療を誠実かつ安全に提供し続けることが大きなミッションの一つだ」

 「2012年以来、国際的な病院評価機構であるJCI(Joint Commission International)の認定を3年ごとに受け、世界のトップクラスの病院で行われている医療の安全と医療の質向上への取り組みが聖路加でも実施されている。また19年には看護の世界的基準であるMagnet Hospitalの認証を受けており、看護師からみても磁石のように引きつける魅力ある組織と認められた。引き続き、患者に信頼され続ける医療を提供していく」

 --ところで、キリスト教の愛の心が根付いた聖路加の歴史とは

 「1901年、米国人宣教医師であったルドルフ・ボーリング・トイスラーが米国の医療を提供したいと東京・築地に聖路加病院(17年聖路加国際病院)を創設したのが始まり。宣教の目的にもかなうわけだが、根底にあったのは日本の医療の底上げで、看護師の教育にも注力し、1920年に看護師養成学校『聖路加国際病院付属高等看護婦学校(2014年に聖路加国際大学)』を創設した」

 「それ以来、日本の高等看護教育のパイオニアとして常に先進的で最高レベルの看護を追求するとともに、医療と医療従事者を育て世に送り出し、医療と看護の両面で高い評価を得るようになった。根底にあるのはキリスト教の教えであり、医療を志す人に共通する。聖路加で働く人にキリスト教精神が脈々と受け継がれてきた」

 --地下鉄サリン事件には救急医として関わった

 「救急部ができて3年目、私が赴任して2年目に起きた。その日の朝(1995年3月20日)は上司が不在で、私が責任者を務めた。事件当日の1日だけで640人(このうち110人が入院)を受け入れたが、『大変だ』という感情はなく、たんたんと治療したことしか記憶にない。患者はどんどん運ばれてくるが、どこで何が起きて、その原因が何かも分からず、心肺停止の状態で来た女性もいた。できることを精いっぱいやるしかなかった」

 「院長だった日野原重明先生が『全ての患者を受け入れる。通常業務は止める。手術も緊急以外は止める』と英断。院内に周知すると、手の空いた医師、看護師が救急部に集まり、できることを手伝った。訓練もなく、申し合わせ事項もない中で、全員が力を合わせて緊急事態に立ち向かった。聖路加で働く人がもつ献身的な姿勢と患者への愛であり、キリスト教の精神が創設から100年超続いていることの証だ。何かあったときは患者のために働くという聖路加の理念がサリン事件で確認できた」

 --多くのことを学んだのでは

 「通常の仕事では経験できないことを学び教訓を得た。それは『救急患者を断るな』ということ。『ベッドが空いていない』『専門の医師がいない』など救急の患者を断る理由はいくらでもある。しかし患者を引き受けて、具合を聞いて苦痛を取り除くのがわれわれの使命。断ることが減って、現在は救急車の受け入れが年1万台となった。病院にとって、サリン事件は『聖路加には救急が必要だ』という認識が根付く1つの大きな出来事だった」

 「サリン事件の被害者への支援は今も続けている。サリン中毒の患者を診た医師はほとんどいない。サリン事件の被害者が、体調の悪化などで医療機関に行っても『サリンのことはよく分からない』と断られた。事件当日に最初に診察したわれわれが患者と一緒に歩んでいくしかないと考え、外来に通ってもらったり、被害者ケアを行っているNPO法人『リカバリー・サポート・センター』が実施する無料健診を毎年手伝ったりしている」

 --新型コロナウイルス感染症への対応は

 「聖路加に最初に患者が入院したのは2020年1月22日。国内2番目で、東京で始めて新型コロナと診断された中国からの旅行者だった。当時は医学的なデータの蓄積がなく、どんな治療を行えばよいか手探り状態だったが、『患者を死なせない』『院内感染を起こさない』というミッションを共有し治療に当たり、幸いにも軽症のまま回復した」

 「昨年3月26日には急遽(きゅうきょ)、既存の8つのICU(集中治療室)病床を新型コロナ専用病床として運用、4月には軽症患者への対応策として一般病棟約30床をコロナ患者専用とした。また、当初はコロナ患者への家族の面会を全面禁止にしていたが、『患者にとって何が大事か』を考え、タブレット端末40台を速やかに整備。病室の中と外をつなぎ、患者と家族がコミュニケーションを取れるようにした」

 --今では新型コロナのことも分かってきたのでは

 「多くの病院が当初の『怖くて断る』から『何ができる』に変わった。例えば検査で陰性なら肺炎を疑い、陽性なら入院先を探す。聖路加では現在、重症者の治療にあたっては呼吸障害を重症化の目安にしている。レントゲンで両方の肺に影が出て人工呼吸器では対応できなくなると、ECMO(人工心肺装置)を使用して治療する。肺が良くなればECMOを外せるが、長くなる患者もいる。ECMOは患者にとって命綱なので、スタッフも長時間緊張を維持しなければならない」

 「サリンとコロナは予備知識や経験がないまま起こり、治療が終わった後の後遺症がどうなるかとか、心理的・精神的な症状をどう診ていくかなどを考えなければならない。コロナは非常に早い段階から後遺症などの影響を調べており、サリン事件の教訓を生かしているように感じる」

 --社会ではデジタル化などが進んでいる。これからの治療法については

 「AI(人工知能)やDX(デジタルトランスフォーメーション)などの導入は避けて通れない。しかしデジタル機械に任せても医療行為は人と人との触れあいであり、相手が人である限り不変だ。デジタルを活用し、より安全な医療を提供する時代が来ても、痛みを和らげ安心させられるのは人。ただ寿命を延ばすことだけではなく、その患者の幸せにつなげるのを手伝うのが病院だ。治療法が進化し多くの人を救うことができる一方で、完治しない患者一人一人にも向き合うのも大事な医療だ。患者の価値観を大事にしている病院が評価される時代が間違いなくやってくる。それに対応するだけだ」

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