【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(12)振動と騒音公害に危機感 

 
高知市内で創業した高知技研コンサルタント。公害対処を看板に掲げていた

 「『サイレントパイラー』がこの世に出ていなければ、技研製作所はなかっただろう」

 同社創業者で社長の北村精男(あきお)がこう断言するサイレントパイラーは、建設公害である振動・騒音を排した画期的な杭(くい)打ち機。

 その誕生には、北村が常に口にする「必要は発明の母」そのままの体験と出会いがあった。

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 昭和42年、当時26歳だった北村は、技研製作所の前身「高知技研コンサルタント」を創業、高知市内に事務所を構えた。高校卒業後身につけた建設機械の操作やメンテナンスなどの技術をもとに、主に建設機械を使った工事業を手がける一方、泥の浚(しゅん)渫(せつ)などの「公害対処」を看板に掲げた。

 サイレントパイラー誕生への転機となったのは45年に、高知を襲った台風10号だった。

 最大風速55メートル、台風接近が満潮と重なった高知沿岸では堤防が決壊し、高知市内は広範囲で浸水。高知技研コンサルタントの事務所は「屋根が吹き飛び、腰の高さまで浸水」するなど、大きな被害が市内のいたるところで発生した。

 台風一過、護岸や下水道などの復興工事の注文が引きも切らない状況となった。高知技研コンサルタントも主力の杭打ち機を使って多くの工事を手がけた。しかし、繁忙の一方で深刻な問題が生じていた。

 時あたかも、42年に「公害対策基本法」が施行され、反公害の機運が高まっていた。杭打ち機は、戦後復興の“槌音”となる一方、振動と騒音の被害が、国民生活をおびやかす「公害発生機」だった。住民や住宅の被害のみならず、ハウス栽培の花が落ちたり、農作物の収穫量が減少したり、鶏が産卵しなくなったりと、影響は多方面に広がっていたのだ。

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 台風10号の復旧工事現場では、杭打ち機の振動と騒音に対する住民の怒りのほこ先が、高知技研コンサルタント社員にも向けられた。

 「棒をもって追いかけられたことがあった」。追いかけてきたのは、夜間勤務の料理人。昼間、工事の騒音と振動に悩まされ寝れないことへの不満が爆発したのだった。「通りすがりの住民に、『またお前か』と舌打ちされた」こともあった。

 業績は好調な半面、会社の将来に危機感を募らせ始めた北村は痛切に感じていた。「どこかに振動と騒音を出さない杭打ち機がないものか」

=敬称略

 首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男氏が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。