【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(13)「そんな機械はどこにもない」
「災害は忘れたころにやってくる」という警句で知られる物理学者、寺田寅彦(1878~1935年)は、高知の人である。晩年、警世家として「日本人の自然観、災害観」を問う多くの文章を残した。
その一冊「天災と国防」(昭和9年)では、明治維新前後から、日本人が近代化の過程で取り入れた西洋文明が災害を激甚化させてきたと指摘。そして、「自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)を破った猛獣の大群のように自然が暴れ出し、高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす」と警鐘を鳴らした。
幕末から輸入され始めた建設機械は、暴威を封じ込める西洋文明の最たるもので、国土の3割ほどしかない狭い平野に人家がひしめき合っている日本では、便益以上に振動と騒音を撒(ま)き散らす厄災の一面があった。
高度成長期で国土全般の開発が進んでいた昭和40年代後半、寺田の指摘は正鵠(せいこく)を射ていた。
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昭和45年の台風10号の復興事業で社業を軌道に乗せた高知技研コンサルタント(技研製作所の前身)だったが、杭(くい)打ち機の振動と騒音で住民から白眼視される日々が続いていた。
当然、同社は対策を講じた。しかし、振動や騒音の対策といっても、音が漏れないように機械にカバーをかけたり、できるだけ振動しないようにと緩衝材としてスプリングをかませるという程度の工夫しかなかった。
「星雲の志を掲げて、独立し一国一城の主となったはずが、下請けとして現場の後始末をさせられているだけでは、会社は成長しない」
危機感を抱いた高知技研コンサルタント社長、北村精男(あきお)は、振動や騒音を出さない杭打ち機を探して国内外を飛び回った。
しかし、時間と金を費やした末の結論は、「そんな機械は世の中のどこにも存在しない」だった。
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北村はもともと、子供の頃から機械好きだった。さらに、会社創業(昭和42年)前から地元の建設会社で、さまざまな建設機械に接して工夫改善し、構造や原理について実地に学習していた。
また、何ら工夫をしようとしない建設機械メーカーや現場任せの元請け会社に対する反発もあった。
あきらめきれない北村は、発想を転換した。
「無振動、無騒音の杭打ち機を、自分で作ろう」
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男氏が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。
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