【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(15)「高知のエジソン」との出会い
ホテル建設現場で目撃した杭(くい)を引き抜く作業から、「圧入原理」を発想した技研製作所(当時は高知技研コンサルタント)社長の北村精男(あきお)。すぐに、この原理を応用した無振動・無騒音の杭打ち機の概念図を方眼紙に書き起こした。
地中に打ち込まれた杭の上に機械を載せ、その杭をつかんで引っ張りあげる際の地中の抵抗力(反力)を使って、次の杭を打ち込むという図案だった。
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北村が、杭打ち機の無公害化に取り組み始めた昭和48年のこのころ、日本の高度経済成長は成熟期を迎えていた。
前年に自民党の田中角栄が地方の工業化を促し、人と金、物の都市への偏在を是正する「日本列島改造論」を発表。中東戦争による石油価格の高騰でオイルショックが起き、戦後初のマイナス成長となった。また、水俣病訴訟で工場廃液が病気の原因とされるなど、日本の転機だった。そんな環境下、北村の挑戦は時代の要請だったのだろう。
北村は方眼紙に書いた無公害杭打ち機の概念図を具現化しようと、「高知のエジソン」と呼ばれていた人物に図を持ち込んだ。「エジソン」は二つ返事で開発を引き受けてくれた。
その人物とは、中古機械の修理・売買を行う垣内商店(現・株式会社垣内)の垣内保夫だった。
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北村の構想を聞いた垣内は、開口一番、「おもしろい。やってみよう」と笑みをみせた。
「垣内さんは、当時32歳だった私より20も年上だったが、なにより発明好きといった雰囲気の人だった。お金や、契約がどうのとか、一切難しいことは言わずに引き受けてくれた」
そう振り返る北村だが、実はこの当時、開発資金はなかった。「見切り発車で垣内さんの懐に飛び込んでみた」。一方、垣内も「(北村は)どこかの御曹司だと思っていた」らしい。北村は「垣内さんは恰幅(かっぷく)がよく、泰然としていたから、金持ちだろうと思っていた」と振り返る。
互いの思い込みが、サイレントパイラー開発の号砲を鳴らした。「当時の私には機械をつくる技術はなく、(垣内さんが引き受けなければ)サイレントパイラーが世にでなかった可能性が高い」。北村は感慨深げに語った。
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男氏が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。
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