【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(17)開発を支えた勘と経験、構想力

 
垣内が描いた1号機の設計図。この段階で、垣内は2号機まで視野に入れていた

 「年も離れ、性格も全く異なる」ふたり。32歳の北村精男(あきお)(技研製作所社長)と、52歳の「高知のエジソン」垣内保夫(株式会社垣内の創業者)のコンビは、前代未聞の無振動・無騒音の杭(くい)打ち機の発明に夢中になった。昭和48年のことだった。

 世界中どこにも前例がない機械で、全く新しい「圧入原理」(地中の抵抗力を生かした杭打ち理論)に基づく機械を生み出そうというのだから、「推測の領域でまとめ上げる感性が求められることとなった」(北村)。

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 2人に共通していたのは、豊富な現場経験に根ざした「勘」の鋭さだ。

 北村は高校卒業後、このときまで約15年間、当時の最先端機器だった建設機械を操り、高度経済成長期の建設ラッシュを突っ走ってきた。

 一方の垣内は、「戦前から中古の機械を扱い、戦時中は航空機の油圧機器や回路、戦後は製材機のようなプロ用機械から業務用洗濯機まであらゆる機械を扱う豊富な知識をもっていた」(北村)。ゆえに、初めての仕事でも目的を達成するために本質を見事につく構想力に優れ、想像したものを具現化する能力に長けていた。

 2人は、まずは1号機で圧入原理の正しさを実証し、2号機で実用化という構想をたてた。

 実現を目指したのは、あらかじめ地中に打ち込んだ杭(鋼矢板)の上に機械を載せ、その打ち込んだ杭3~4本を機械がつかんだ状態で油圧によって次の新しい1本の杭を地盤に押し込む-そんな機械だった。

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 最大の課題は、薄い鋼矢板の上に載せる機械の大きさと重量だった。バランスがとれないと機械は傾いて用をなさなくなる。

 杭を押し込む力は、北村が培った勘(かん)と経験で100トンと設定した。これだけの力を、従来のように衝撃で与えるのではなく、静かに押し込む方法で与えようというのだから、当時の一般的なパワーショベルの5倍程度の大きな油圧力が必要だったという。

 「超高圧に耐えられるポンプ、バルブ、ホースなどはほとんど存在せず、福岡や大阪のメーカーにかけあって、特別につくってもらった」

 2人は、毎夜垣内の工場にこもった。「夏は蒸し風呂のように暑く、冬はドラム缶に火を燃やした。垣内さんの奥さんがつくってくれたそば粉を練った夜食の味を今も思い出す」と北村は懐かしむ。

=敬称略

 首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。