【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(19)同業者の「売ってくれ」に戸惑い
技研製作所(当時高知技研コンサルタント)社長の北村精(あき)男(お)と、「高知のエジソン」こと垣内保夫の2人が開発した無振動・無騒音の杭(くい)打ち機「サイレントパイラー」が現場デビューしたのは昭和51年7月、高知市内の上下水道管敷設工事だった。
当時の様子を、新聞はこう伝えている。デビューに先駆けて行った試運転について、建設業界紙(建設日本)は「画期的な無振動・無騒音施工」(昭和51年6月18日付)の見出しで報じ、現場を取材した地元紙(高知新聞)は「これは静か!」(同8月5日付)と大きな見出しをとり、驚きを隠さなかった。
さらに「近所の主婦も『静かねえ』と感心している」とも。北村にとっては、かつて社員が、従来型の杭打ち機が生み出す振動と騒音のため、棒を持った住民に追い回された記憶が嘘のような反応であった。
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杭打ち工事をめぐる当時の状況を、業界紙は「近年、建設工事に伴う振動、騒音問題がかなり厳しい水準で法律的に規制されるようになった。(中略)地域住民の生活環境の保全に配慮しながら、工事のスピード化を図らねばならないという事態に追い込まれ、各施工業者とも、優秀な無公害工法の開発を切望している」と書いている。それだけに、無公害のサイレントパイラーの登場は「画期的」だった。
デビューから約2カ月後、サイレントパイラーに対する同業者などの反響は大きく、「公害反対の住民パワーに悩む大都市(の建設業者ら)からの問い合わせが相次いでいる」(地元紙)状況となった。
サイレントパイラーの効果はまず、50、51年と2年連続で台風被害に悩まされた高知県内の復旧工事で発揮されたが、全国の建設業者から切望の声が本格化したのは、52年に初の県外工事を大阪市内で実施してからだ。大阪だけでなく、広島や九州から、同社に対して「売ってくれ」という申し入れがひきもきらなくなった。
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北村には「そもそも、自分が困り果てて開発した機械は、自社の工事受注のための切り札であり、他の業者に売るという発想がなかった」。しかし、全国の同業者の悲痛な声に耳を傾けざるをえなくなり、「同じ悩みを抱えてきた同業者に同情心も生まれ、業界の救世主になると販売を決意した」。そしてついに、同年、販売1号機を大阪市の業者に納入したのだった。
とはいえ、機械はまだまだ未完成。なにより、工事現場ごとに異なる地盤の質をさぐりながら杭を打っていく工法は開発途上だった。
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。
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