【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(20)無公害の「救世主」に全国から反響
「公害反対の住民パワーに悩む大都市からの問い合わせが相次いでいる」。技研製作所(当時、高知技研コンサルタント)社長の北村精男(あきお)と「高知のエジソン」垣内保夫が2年かけて開発にこぎつけた、無振動・無騒音の杭(くい)打ち機「サイレントパイラー」に対する反響の大きさを、昭和51年当時、地元紙はこう報じた。
サイレントパイラーを、自分の会社の「工事受注の切り札」と考えていた北村。当初は、同業者に販売するつもりはなかったが、寄せられる切実な声を無視できなくなった。
しかしながら、開発途上のサイレントパイラーは、部品に改良の余地があり、故障も少なくはなかった。
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「『この娘』にはまだ何も教えていません。使っているとすぐ壊れます。親戚づきあいするところから始めましょう」。北村は販売1号機を納めた大阪の業者に対し、こんな表現で何度も念押しした。
実際、使用が始まると、高知から社員が毎日のように大阪に駆け付けた。「半日使えば、半日は修理というぐらい故障した。修理を終えて、社員が大阪から高知に帰ってくる途中に、もう大阪から高知へ別の故障の電話がかかってくるというありさまだった」(北村)
とはいえ、騒音と振動という建設公害に悩む「建設業界の救世主」のサイレントパイラーは、引く手あまたのヒット商品だった。52年夏に1号機を大阪に納入して以降の3カ月間で静岡、広島、福岡へと納入先がまたたくまに広がった。
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販売網が広がると同時に、北村はサイレントパイラーを使う「圧入工法」の講習会を各地で開くなどして普及に力を入れた。
実は、サイレントパイラーが現場デビューを果たす前、大阪で開催された「国際環境汚染防止展」に開発2号機を出展したことがある。このとき、見学者らはなじみのない「圧入原理」、初めて目にする工法に戸惑うばかりであったという。
北村が販売開始後に全国を回り始めたときも、各地の講演会では「杭打ち機が本当に無振動、無騒音になるのか」と開会前には疑心暗鬼が会場に満ちたが、講演後にはどこの会場でも拍手がわき起こった。
東京で開いた展示会で、北村にとって忘れられない出来事があった。誰もいない夜の会場でサイントパイラーのエンジン音を測定してみたところ、「浜風より小さい数字だった」。北村は開発の苦労をともにした垣内と男2人、手を取り合って喜んだ。
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。
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