【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(21)製造販売に特化し新会社誕生
無振動・無騒音の杭(くい)打ち機「サイレントパイラー」が、「住民の公害反対パワーに悩む」建設機械業界に衝撃のデビューを果たしたのは昭和51年。翌年には販売が始まった。
サイレントパイラーを開発した高知技研コンサルタント(技研製作所の前身)の社長、北村精男(あきお)が、地中の抵抗力を生かす「圧入原理」を着想し、前例のない無公害杭打ち機実現に乗り出して4年。開発は順調に進んだといえよう。
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しかし、「サイレントパイラーはきわめて手離れのわるい機械」(北村)というように、販売後も修理やメンテナンスが必要だった。また、杭を打つ地盤によっては高度な施工技術が必要であるため、それぞれの現場で、施工者に対してきめ細やかな技術指導や施工法のアドバイスが欠かせなかった。
つまり、ユーザーの会社と技研側が「親戚づきあい」を続けなければならない宿命をもった機械だったのだ。
「杭を打つ地盤が粘土層、バラスやレキ、玉石層ならどう杭を打つのか、地盤の変化や予兆を感じる感性と対応策がないと、サイレントパイラーは用をなさない」(北村)
だからこそ、その後一時的に、建設機械メーカーなどがいっせいに、同様の機械の生産に乗り出そうとしたものの、結局は撤退を余儀なくされた。
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「手離れのわるい機械」の販売が拡大したことで、北村は社内体制の再構築を考え始めた。これまで高知技研コンサルタントがやってきた施工に加え、サイレントパイラーの販売と開発、さらには「圧入原理」の普及活動も行わねばならなかった。
当時を、北村はこう振り返る。「いまからどう頑張っても、三菱重工やトヨタにはなれない。しかし、どこにもない地下に特化した開発型の企業を目指せば、世界的な企業にもなり得る」
そして昭和53年、北村は、サイレントパイラーを製造販売する会社として「技研製作所」を設立し、「高知技研コンサルタント」は施工専門会社とした。さらに、製造の主体は、ともに開発にあたってきた垣内保夫(株式会社垣内の創業者)に託し、技研製作所は製造工場をもたない開発専門の「ファブレスメーカー」の道を選択した。
技研製作所は同年、初の県外拠点として大阪に営業所を開設。そして翌年以降3年間で、東京、仙台、福岡、名古屋へと翼を広げていった。
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。
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