【地球を掴め国土を守れ】技研製作所の51年(22)ユーザーと歩む「家元」標榜
圧入原理に基づく無振動・無騒音の杭(くい)打ち機「サイレントパイラー」を大阪の業者に送り出した2年後の昭和54年、開発した高知技研コンサルタント(技研製作所の前身)社長の北村精男(あきお)は、圧入施工の業界団体を創立した。
「圧入工法は全く新しい原理に基づくため、施工技術をもつメーカーの技研が、いわば『家元』となって、ユーザーと密接な関係を構築しないと、工法は普及しなかった」と、北村は団体設立のねらいを語る。
団体は現在、任意団体から一般社団法人「全国圧入協会」に変わり、国内外への工法の普及、圧入施工技士(厚生労働省認定)の養成などを行っている。その副会長を務める土保産業(大阪府東大阪市)社長、樋口佳行は、サイレントパイラーについてこう語る。
「初めは半信半疑だったが、使えばすごさが分かった。改良進化も速く、協会は情報交換の場として貴重。東日本大震災や紀伊半島豪雨の被災地で堤防の復旧工事をしたが、サイレントパイラーならではの仕事だと思う」
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サイレントパイラーの販売開始以降、圧入工法の「家元」である技研は、「ユーザーと共存共栄を図る責任がある」(北村)として、改良を重ねては新型機を発表した。
53年に量産機を開発し、56年にはそれを軽量化したうえ自走機能を備えた新型機を作った。これにより、杭打ち施工の際、サイレントパイラーを大型クレーンでつり上げて少しずつ移動させる手間が不要になったほか、橋脚など施工場所の上部に構造物がある場合でも施工が可能となった。
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54年は、イラン革命に伴う第2次石油ショックで建設不況となったが、そうした空気とは無縁に技研の無公害杭打ち機は売れ続けた。一方で、建設省(現国土交通省)はサイレントパイラーの存在を長らく“無視”し続けた。工事実施の際の国の“お墨付き”ともいえる「土木工事積算基準」に同機が位置づけられたのは昭和61年。開発から11年、この間現場に投入されたのは400台以上に達していた。
当時を振り返り北村は「憤りを覚えながらも、社員には『決して役所に頭を下げるな』と言いふくめた。『無公害機』を実現した発明者のプライドとして、無視できるならしてみろという覚悟だった」と語る。「いごっそう」(主義信念を貫く男を表す土佐弁)の面目躍如だった。
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。
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