浅草でも「えべっさん」 総本社 西宮神社との縁、古文書で判明
■交流復活、来年「二十日えびす」
商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社・西宮神社(兵庫県西宮市)による古文書調査で、東京都台東区の浅草寺(せんそうじ)周辺の地主神(ぢぬしがみ)を「西宮恵比寿(えびす)」とする記述が見つかった。江戸時代まで浅草寺でえべっさんが祭られていたことも分かり、えびす信仰の広がりが明らかになった。西宮神社の呼びかけで交流も復活し、浅草寺境内にある浅草(あさくさ)神社は来年1月、西宮神社の恒例行事「十日えびす」にちなんで「二十日えびす」を行う。(中井芳野)
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雷門(かみなりもん)で有名な浅草寺は飛鳥時代の628年、土地の長(おさ)が自宅を地元漁師の網にかかった観音像を祭る寺に改めたのが起源とされる。浅草は宗教的聖地として信仰を集めていたが、江戸時代に市街地が拡大されると娯楽の町としての側面が強くなった。
西宮神社が9年前から文化研究所を立ち上げて、えびす信仰の調査を進めていたところ、昨秋に古文書の中に浅草周辺の地主神を「西宮恵比寿」とする記述を発見した。江戸時代には浅草寺の宝蔵門脇にえべっさんが祭られていたほか、西宮神社が江戸幕府公認で独占的に配布していたえべっさんを描いた「えびす御神影(おみえ)札」が浅草寺でも配られていたことも分かった。
しかし浅草では、江戸後期から次第にえびす信仰が衰退し、札の配布が途絶えた。平安末期以降に浅草寺境内に創建された浅草神社にも西宮恵比寿を祭った社(やしろ)が存在したが、東京大空襲で焼け、えびす信仰は浅草から影を潜めることになったという。
今回の調査で浅草とのつながりを発見した西宮神社は昨秋、浅草神社に呼びかけ、交流が再開された。浅草神社では年明けから、御神影札を参拝者に授与する当時の習わしを復活させており、矢野幸士禰宜(ねぎ)(45)は「庶民の神様であるえべっさんの信仰を浅草からも再び広めたい」と意気込む。
矢野禰宜は西宮神社で1月9~11日の3日間開催され、約100万人の参拝者が訪れた十日えびすを視察。賽銭(さいせん)が貼り付いた「招福大マグロ」や鯛などの小宝が付いた福笹(ふくざさ)などを見て回った。
案内した西宮神社の吉井良英権宮司(57)は「えべっさんの縁起物は福笹のほか、熊手や箕(み)にお面をつけた『吉兆』と呼ばれるものが昔から授与されている」などと説明。参道が商売繁盛や家内安全を願う人でにぎわう様子を見た矢野禰宜は「信仰が昔と変わらず庶民に根づいている」と驚いた表情を見せた。
えびす信仰の復活を目指す浅草神社では来年1月に十日えびすにちなんだ二十日えびすを開催する。吉井権宮司は「庶民の聖地としてにぎわう浅草で、庶民の神様として信仰されるえべっさんが広がるのは有意義なことだ」と話している。
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【用語解説】えびす信仰
商売繁盛の神様「えべっさん」への信仰。えべっさんは左脇に鯛を抱え、右手に釣りざおを持つ姿で描かれることが多い。江戸時代には、西宮神社近くを拠点にする芸能集団がえべっさんの人形で神徳を説く芸能「えびすかき」を行って信仰を広めた。同神社によると、えべっさんを祭った神社は今宮戎神社(大阪市浪速区)や恵美須神社(京都市東山区)など西日本を中心に全国で3500社以上あり、「十日えびす」「えびす講」といった行事が現在も盛んに行われている。
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