【ニュースを疑え】元号と西暦「面倒に意味あり」 思想家、内田樹氏に聞く

 
内田樹氏=神戸市東灘区(南雲都撮影)
うちだ・たつる 『日本辺境論』(平成21年)など幅広く評論を展開する思想家、武道家∥神戸市東灘区(南雲都撮影)
内田樹氏=神戸市東灘区(南雲都撮影)
内田樹氏=神戸市東灘区(南雲都撮影)
内田樹氏=神戸市東灘区(南雲都撮影)
内田樹氏=神戸市東灘区(南雲都撮影)
内田樹氏=神戸市東灘区(南雲都撮影)

 「平成○年は西暦でええっと○年」。そんな変換を私たちは幾度、繰り返してきたことか。時に不便を感じながら日本人は、元号と西暦の両方を使い続けている。グローバル化と標準化が進む21世紀に元号を守り続けているのだ。「面倒にはそうなるだけの意味がある」と、神戸女学院大名誉教授で思想家の内田樹氏は言う。面倒の意味とは一体、何なのだろう-。(聞き手 坂本英彰)

 --改元が近づいています。グローバル化が進むいま、日本で元号を使い続ける意味は何なのでしょう。西暦で十分との意見もあります

 「西暦はキリストの生誕年を基準にした暦法です。価値中立的な暦ではありません。イスラム教にもユダヤ教にも仏教にも、それぞれの宗教に基づいた暦年がある。元号を使うのは日本だけだという乱暴なことを言うひとがいますけれど、似たようなことは世界中どこの社会集団でもやっています。自分たちのために時間を区切り、タグをつけたり、色を塗ったりする習慣は世界中にあります」

 「イギリスはビクトリア朝、エドワード朝などと王朝で時代を区切ります。王朝が変わるごとにマナーもファッションも変わる。フランスは帝政期や王政復古期など政体が変わるとインテリアや建築様式が変わる。アメリカはエイジやディケード(10年)で区切り、ジャズエイジとかフィフティーズとか呼ぶ。みんないろいろ工夫してるんです」

 --区切る行為は普遍的だが、区切り方は社会集団によるということですね

 空気を封印する元号

 「日本の元号もそれぞれ固有の含意があります。能には『寿永の秋』という詞章がよく出てきますが、平家の没落直前の最後の華やかさの記憶がこの元号には塗り込められている。

応仁の乱にしても、元禄文化にしても、安政の大獄にしても、元号には固有の時代の空気が封印されています。だから、元号を聞いた瞬間に、その時代の空気が吹き込んでくるというようなことが起こる。元号にはそういう身体感覚を賦活する力があったと思うんです」

 「私の父は明治45年1月生まれです。半年だけの明治人でしたけれど、明治人という理念像を造形して、大正生まれとは違う日本人たるべく身を律していました」

 --とはいえいまや日本人もグーグルを使いアマゾンで注文する。世界はフラット化が進んでいます

 「世界のフラット化と簡単に言いますけれど、それは不可能だと思います。イスラム圏が存在するからです。モロッコからインドネシアに至るイスラム圏は食物や服飾の儀礼と祈りの言語を共有するグローバル共同体です。人種も国も言語も生活文化も異にする人たちが、7世紀から現在まで共同体を形成している。これからはアメリカ基準でグローバルにしますと言われても、そんな手荒な話は聞けないでしょう」

 「内戦が起きる所はだいたい国境が直線のところなんです。中東は、オスマントルコ解体のときに、1916年に英仏露がサイクス=ピコ協定を結んで、列強の利害に基づいて国境線を勝手に引いた。だから、同じ部族が国境で分断されたり、疎遠な社会集団が同国民にさせられたりした。中東の国家は時間をかけて形成された国民国家ではありません。だから、政治単位として脆弱(ぜいじゃく)なんです」

 個人への強制は間違い

 --押しつけは定着しないということですね

 「ある社会集団が時間をどう区切るかは、国境線をどう区切るかと本質的には同じことだと思います。社会集団ごとに自分たちの固有のやり方がある。その区切りは尊重しなければいけないと思います」

 「西暦が多数派だからそれを単一の世界標準にして、それ以外を廃用しろというのは暴論です。たしかに西暦を共有する方が便利ですけれど、西暦とさまざまな集団が固有の暦法を併用することは認めるべきだと思います」

 --西暦・元号どちらを使うかは、年齢や政治的な立場で違いがあります

 〈産経新聞社とFNNが1月に行った合同世論調査で「普段は元号と西暦のどちらを使いたいか」をたずねたところ、10・20代で元号が15%程度と元号離れが顕著だった。60代以上を除く全年齢層で西暦が元号を上回った。支持政党別では、自民、公明両党と日本維新の会の支持層で元号が西暦を上回り、立憲民主党と共産党の支持層は西暦が元号を上回った〉

 「社会集団と同じく、個人には個人のやり方で時間を区切る自由があります。権威が強制すべきものじゃない。西暦がいいという人は西暦を使えばいい。僕も昭和の間は元号表示でもいつのことかだいたいわかったけれど、平成からあとは元号で言われても、西暦に換算しないといつだかわからないです」

 「困るのは公文書です。大学の文書は文部科学省の指示らしく、『平成32年』なんていう存在しない年号が記されている。元号に対する敬意も愛着も感じられない。何か元号の意味を勘違いしているんじゃないですか」

 中国は円、日本は楕円

 --日本の元号は天皇との関係が深い

 「天皇制と立憲デモクラシーは政治原理としては食い合わせが悪いと思います。でも、由来の全く異なるもの、機能を異にするものが併存している方がシステムとして安定的だし、健全だと思います。ミトコンドリアだって、バクテリアと真核細胞という異物が共生してできたわけでしょう。出自や生命原理が異なるものがたまたま同じ場所にいて、助け合って暮らすというのは生物にとって当たり前のことなんです」

 「医療現場で一緒に働くドクターとナースだって、起源は違います。ナースは癒やしの経験知を伝える技能者で、ドクターはヒポクラテス以来、臨床と観察に基づく自然科学者です。この2つの異なる治療原理が共生していることで近代医療は成立している」

 --面白いたとえです

 「天皇制と立憲デモクラシーの共生は統治形態としてはかなり安定的なものだと思います。統治システムが揺らいだ時には、おそらく天皇制が復元力を発揮するでしょう。もし、今後日本国民が政治的に深く分断されることがあったとき、国民再統合のためおそらく天皇制が決定的な働きをすることになると思います」

 --日本は元号を中国から導入したが、中国はもう使っていません

 「中国は中華皇帝を中心とする同心円構造ですが、日本は焦点が2つある楕円(だえん)構造です。日本は中国の制度文物を学びましたけれど、科挙と宦官(かんがん)だけは採用しなかった。国情に合わないと判断したのです。使い勝手のよいものだけ使ってきた。それでよいと思います」

 「明治以降の一世一元制は西暦に対抗できる暦年法を求めて制定したものです。幕末は文久が4年、元治が2年、慶応が4年で改元しました。改元が頻繁過ぎると、暦年法としては使い勝手が悪いということも新制度採用の一因だったのかもしれないですね」

 平成は陛下のイメージ

 --今回の改元は天皇陛下が「お気持ち」を表明されたことが発端でした

 「平成はひたすら国力国運が衰微した30年間でした。でも、平成という年号でまず回想されるのは、天皇陛下の事績ではないでしょうか。陛下は立憲デモクラシーと天皇制の共生という困難な課題に誠実に取り組まれた。その生き方は多くの国民に感動を与えた。これからは平成という年号を聞いたときに、われわれの世代だと、まず陛下の相貌が思い浮かぶんじゃないでしょうか」

 --新時代への展望や期待はありますか

 「30年前に小渕(恵三官房長官・当時)さんが『平成』の元号を示したとき、音の響きも文字もずいぶん軽いなという感じがしました。でもそれは当たり前で、その文字列と共に記憶されるような経験がその時点ではまだ何もなかったからです。その時は、30年後に平成という元号から自分が天皇皇后両陛下のお顔をまず思い浮かべるようになるとは思ってもみなかった。元号がどんなニュアンスを持つようになるか、それはその時代の日本人がつくってゆくもの、与えていくものなのだと思います」

 【プロフィル】内田樹 昭和25年、東京都生まれ。東京大文学部卒、東京都立大大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。『街場のメディア論』など著書多数。武道家(合気道・師範)

 【用語解説】ニュースを疑え

 「教科書に書いてあることを信じない」「自分の頭で考える」。2018年のノーベル賞を受賞した本庶佑・京都大特別教授はそう語りました。ではニュースを的確に理解し、事実から「真実」を見極めるにはどうすればいいでしょうか。各界の論客に時事問題を独自の視点で斬ってもらい、考えるヒントを提供するのがこの企画の狙いです。