千葉虐待 届かなかったSOS 周囲の大人は“命綱”の自覚を
近年、児童虐待の通告件数は増加の一途をたどっている。厚生労働省によると、2017年度中に全国210カ所の児童相談所が児童虐待相談として対応したのは13万3778件、これまでで最多の件数であった。この数だけ、児童虐待をめぐる複雑で深刻な人間関係があったということになる。
千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さんの虐待死事件で傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母、栗原なぎさ被告の5月16日の初公判では、心愛さんを執拗(しつよう)に虐待した勇一郎被告が、家庭内で支配的な立場にいた状況が浮き彫りになった。なぎさ被告をはじめ、祖父母、学校、教育委員会、児童相談所などの関係者が、攻撃性の強い勇一郎被告と真っ向から対峙(たいじ)するのを回避したことで、もっとも弱い立場の子供が犠牲になったのではないだろうか。
勇一郎被告には表の顔と裏の顔があった。沖縄の観光関係の仕事で一緒だった彼の上司は、勇一郎被告の働きぶりや人間性を評価していたと記者に語っている。なぎさ被告の母も、結婚のあいさつに訪れたときの勇一郎被告は、礼儀正しくてニコニコしている人だったと言っている。しかし一方で、勇一郎被告は、無抵抗の子供に「毎日が地獄だった」と言わせるほどの攻撃を加えていた。
勇一郎被告の心理的背景を見ると、恐らく「ゆがんだ自己愛」の持ち主であり、自分の思い通りになりそうな他者を支配することで、未熟な自尊心を充足させていたということだろう。その根底にあるのは等身大の自分に自信が持てないという劣等感である。
このような病理的な自己愛を持っている人は、自分も他人も愛せないし、信用もできない。勇一郎被告は妻であるなぎさ被告に仕事を辞めさせ、携帯電話をチェックして交流関係を絶たせたりしながら、精神的な束縛と暴力で支配していた。
妻は、社会とのつながりを遮断され、自由を奪われ暴力をふるわれているうちに、自己肯定感が低くなり冷静な判断ができなくなっていったのだろう。その上さらに、支配者である夫の機嫌をとるために、共通の標的である心愛さんの虐待に同調していたという可能性もある。
心愛さんは、健康に生きる力と称される「首尾一貫感覚」を奪われていたのではないか。首尾一貫感覚は3つの感覚から成るが、その一つに、何となるという「処理可能感」がある。これは自分に降りかかるストレスや困難に資源(相談できる人やお金、権力、地位、知力など)を使って対処できるという感覚を指す。心愛さんは勇気を振り絞って、彼女の資源である母親や祖父母(勇一郎被告の父母)、学校にSOSを出したが、ほぼ全てに無責任な対応をされ、援助されるどころか虐待が助長されてしまった。
もっとも責められるべき人間は、もちろん命を直接奪った勇一郎被告だが、本来心愛さんの資源となるはずだった大人たちの責任はどうなのだろうか。暴力的で支配欲の強い男と対峙するのは、厄介な事態に巻き込まれることもあるし、恐怖を感じることであろう。しかし、誰かが勇気ある行動、適切な判断をしていれば、一人の子供の命が救われたかもしれない。虐待が疑われる児童の周りにいる大人たちは、自分がその児童の命綱かもしれないという自覚を持たねばならないと思う。
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【プロフィル】舟木彩乃
ふなき・あやの ストレス・マネジメント研究者。メンタルシンクタンク副社長。筑波大大学院ヒューマン・ケア科学専攻(博士課程)に在籍中。著書に『「首尾一貫感覚」で心を強くする』(小学館)がある。千葉県出身。