イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人人質事件が最悪の結末を迎えた。
安倍晋三首相が心からの怒りと悲しみを押し殺すようにして述べたように「卑劣極まりないテロ行為に強い憤りを覚える」とともに、「テロリストたちを絶対に許さない」という気持ち、「その罪を償わせる」という感情を、私を含むほとんどの日本人が共有したことと思う。
もちろん、首相をはじめ、政権としてこの最悪の結末を望んだはずは決してないであろう。ただ、かつて政府に身を置いていた立場から推測するに、この結果は想定の範囲内であったことは間違いないだろうし、さらに言えば、首相の中東歴訪とそれに伴う言動がその引き金となることも、ある程度は覚悟していたと思われる。解放交渉等、途中のオペレーションにミスがなければ、最悪の結果でも、世間の怒りはテロリストたちに向かうはずとの冷徹な計算が政権側になかったはずはないと思う。
特に、支持率を下げかねない「安保法制」の論戦が国会等で本格化することを控え、今回のように自ら危険地帯に入って被害に遭うケース以外の場合、例えば、PKO(国連平和維持活動)に従事する自衛隊員や、渡航自粛地以外で強制的に拉致された邦人の保護をどうするのか、という「積極論議」が盛り上がることは、マイナスにはならないとの読みもあったと思われる。安保・基地問題が原因で知事選や衆院選での与党敗北が続く沖縄、集団的自衛権に関する閣議決定と時期が重なって逆転負けを喫した滋賀県知事選等を振り返ればなおさらその感を強くする。