この文章によると、習仲勲は全国人民代表大会常務委員会副委員長(国会副議長に相当)として法律制定の責任者だった1980年代初め、民法制定に関する会議で、長年、考えていたこととして、異なる意見を保護する法律の制定を提起した。その際、最高指導者の意見とは異なる意見の持ち主を「反党」「反革命」などと批判し、粛清してきた党の歴史に触れながら、たとえ、その意見が間違っていたとしても、処罰すべきではないと主張したという。
異なる意見を保護すべきという主張は、党内での粛清にきわめて批判的だった習仲勲の自らの失脚体験にもとづくものといえよう。
「いかなる者も異なる意見を発表する権利がある」と習仲勲は強調したが、そうした法律は制定されなかった。胡耀邦擁護という「異なる意見」を口にした習仲勲はトウ小平に嫌われ、冷遇されたのである。(敬称略)